意味をあたえる

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岡本かの子「河明り」

 二歳のとき母に死に訣れてから、病身で昔ものの父一人に育てられ、物心ついてからは海にばかりいる若い店員のつきとめられない心を追って暮らす寂しさ堪えかねた娘は、ふと淡い恋に誘われた。

 相手は学校へ往き来の江戸川べりを調査している土俗地理学者の若い紳士であった。この学者は毎日のように、この沿岸に来て、旧神田川の流域の実地調査をしているのであった。

 河の源は大概複雑なものだが、その神田川も多くの諸流を合わせていた。まず源は井頭池から出て杉並区を通り、中野区へ入るところで善福寺川を受け容れ、中野区淀橋区に入ると落合町で妙正寺川と合する。それから淀橋区と豊島区と小石川区の境の隅を掠めて、小石川区牛込区の境線を流れる江戸川となる。飯田橋橋点で外濠と合流して神田川となってから、なお小石川から来る千川を加え、お茶の水の切り割りを通って神田区に入り、両国橋の北詰で隅田川に注ぐまで、幾多の下町の堀川とも提携する。

 

(中略)

 

 こういう智識もその若い学者から学ぶところが多かったと、娘は真向から恋愛の叙情を語りかねてまずこういう話から初めたのであった。

 

(筑摩書房 「岡本かの子 ちくま日本文学037」 p293 太字は私が入れました)

 

太字は私が入れました。これは岡本かの子自身をモデルとする小説家の主人公が、とある娘と懇意になり、そこで聞かされる身上話である。引用を読めばわかるが、かつての恋の話であるが、なぜか川の話ばかりが続く。(中略)とされた部分も、略さないと、川の源流がどうとか、どこの川と合わさるとか、そんな話ばかりが続く。私は生まれも育ちも埼玉県なので、読むのがかったるかった。たぶん、東京都の人でもかったるいのではないだろうか? タモリさんなら興味津々なのかもしれない。私は読みながら、ブラタモリを思い出した。私はブラタモリをほとんど観たことがないが、たしか、川がどうのこうのやっていた気がする。タモリさんなら、この川のくだりはじっくり読んで、恋愛の部分はすっとばすだろう。昔、タイタニックを見た時には、恋愛部分は全部早送りしたと、言っていたのを見た気がする。

 

しかし、多くの人がかったるくても、この小説を小説たらしめているのは、このような川についての説明である。私は「まず」を太字にした。そこに差し掛かったときに、ギアが一段上がるような感じを覚えたからである。さあここからが長いぞ、と思ったのである。おそらく書いている方も、「さあ書きまくってやるぞ」と意気込んだにちがいない。そうしたら実際に長かった。

 

そういう部分を読むときに、こちらがわかるかわからないかは、あまり関係がない。ストーリーのように、途中をとりちがえたら致命的になるわけではないから、むしろ気楽だ。