意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ブログでお金儲け

少し前に、たまたま目にしたブログで
「ブログを書くモチベーションがないときは、こうやって書け」
というのがあって、私はどうしてそこまでして書かなければいけないのかわからなかったので、そのときは私もいくらか子供っぽかったので、
「どうして書くこと自体が目的ではいけないの?」
とコメントを残した。そうしたら、記事を書いた人は実は親切な人で、Twitterで返事をくださり、
「それで書ける人ならば、問題ないです。私の記事を読む必要はないです」
という返事だった。こんな突き放す言い方ではなかった。私は自分の子供っぽさが恥ずかしくなり、どうして書きたくないときまで書かなければいけないのかについて考え、やがてそのことに肯定的な考えを持つようになった。

書くことの目的はお金か、または人気者になりたいなどの欲求である。私はブログの中から今発言しているから、軽はずみな言い方になってしまうが、そういうトレンドなのである。おそらく、今はブログを書けば比較的容易に注目され、お金を稼げる、というイメージがかなり広く浸透しているのではないか。私ははてなブログを一年前に始めて、色んなブログを読ませてもらったが、大して興味はなくても、かなり頻繁に「ブログで稼ぎまくっている人がどうとか」というのを目にする。あと、今月はどのくらい儲かったか、とか(ほとんど儲からない、というのが多い。本当だろうか?)あと、好きなことだけやって生きていく、とか。そういえば私は少し前に不動産の営業から電話かかってきたときに、女に
「飯村さんはどういうとき、ハッピーになりますか?」
と訊かれて、
「ひとりになれるときです」
と答えてドン引きされたことを思い出した。相手は「うわっ」と言った。私はそういう反応が愉快だった。私は自分ひとりでいるのが好きだが、しかし、それは大勢でいる時間がなくては成り立たない。「好き」というのは、それ単体で成り立つものなのか? 

私はこうして毎日のように延々と書いているが、だから、読んでいる人は
「飯村さんは文章書くのが好きなんだなあ」
と思う人もいるかもしれないが、私としては、それを全否定するほど子供っぽくはないが、やはり好きでも嫌いでもない状態をキープしたいと思っている。「好き」と意識してしまうと、それが負担になってしまうからである。私は毎日の単なる作業としてブログを更新したい。

それで、私がブログを書く目的だが、それは世界平和と人類の発展のためである。しかし、そうやって書いてみても、私自身にもあまりリアリティがなく、それは私の文章力の問題でもあるが、自分で考えているときは、やはりそういう目的以外にたどり着かない。だけれども、そうやって宣言すると、ちょっとアレな人に思われそうだから、私もそろそろアフィリエイトとか始めようかしら?

そういえば、はてなブログには、プロという有料のやつと素人のやつがあって、アフィリエイト貼るにはプロがいいよとあるので、お金儲けしたい人はプロにするのが通例らしい。しかし、中には単に広告が邪魔だから、レイアウトにこだわりたい、という人がプロにする場合もある。しかし、お金儲け派の人はそういうのが理解できないらしく、ずっと前だが
「プロにしていても、広告も貼らない変わり者がいます」
と書いている人がいた。私はちっとも変わり者ではないと思うが、ブログ界隈で周りと足並みを揃えたいなら、たとえ嘘でも「お金儲けしたいです」と表明したほうが無難かもしれない。(揃えたくない人は「お金儲けなんてとんでもない」と言えば良い)

それは何もブログに限った話ではなく、実社会でも単なる好意で他人の手助けをしても、変な目で見られてしまうことがあるし、私自身も、「無料」という表示を目にするとまずは代わりに失うものは何かと考え、考えるのは疲れるので、「有料」のほうがよっぽど楽だとか思ってしまう。私は、そういうのは変だと思う。

話は全く関係ないが、お金がすべて、お金以外の価値はすべて無である、という世の中が実現するならば、それはある種の理想郷ではないだろうか、と上記のことを今朝考えながら思った。

それは前も書いたかもしれないが、私が高校のときに友達が「世の中金がすべてなんだよ」と言っていて、私は家に帰ってから夕飯の準備をしている母に、その考えについてどう思うかと尋ねたら、
「そうだったら、楽なんだけどね、うふふ」
と答え、そのときはよく意味がわからなかったが、今はなんとなくわかる。