意味をあたえる

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眼帯(4)

作者「
昨日から断水している。私の家だ。一昨日だったかもしれない。一昨日は湯沢に行って、ロープウェーに乗って高いところまで行くと雪が残っていて、しかし麓にも割合残っていた。関越トンネルの、向こうの話である。帰り道に義母が
谷川岳パーキングに寄って」
というので寄った。トイレの小屋があるだけの、小さなところだったから、素通りしてしまおうかと思ったが、隅の方に清水が湧き出ている。私たちは飲みかけのお茶を捨て、そこに水を注いだ。飲んだらおいしかったので、
「水、おいしいです」
と発言したらみんな笑った。
「なんで外人みたいに言うんだよ」
「韓国人みたい」
等の突っ込みが入った。六年前の水が湧き出ているらしい。義母が、
「あと二年したら飲めなくなる、放射能が出るから。このあたりは放射能まみれだ」
と言い、汲んできたばかりの水をごくごく飲んだ。義母のペットボトルにはラベルがない。家からドクダミ茶だか、紫蘇茶だかをつくってそれを飲んでいた。義母は二年後はもうこの世にいないとか思っているのかもしれない。

1ヶ月ほど前に伯母が死んだ。心筋梗塞になり、車の中で息を引き取った。いや、死んだのは病院だ。私たちは最初、
「入院している」
と聞いた。言ったのは義父だ。伯母は義父の義姉にあたる。とにかくあっけなく死んだ。前日には、友達と花を見に行っていた。なんの花なのかは忘れた。友達とは、私の家の隣組でもあるから、私と妻はその人の家に行って、教えてあげた。
「うそよ」
とその人は言った。電車の中でも「元気だ」と言っていた、と言っていた。「胸が痛い」とその前に言った。大丈夫? と訊くと、大丈夫、と答えたらしい。

その人の家の玄関に入るのは初めてだった。下駄箱の上に、竹を編んだ籠が置かれている。かごの中には起き上がり小法師がふたつ入っている。御所田さん、という名前にする。御所田さんは女ひとり暮らしである。運転免許を持っていないので、自転車に乗ってでかける。その日も駅まで自転車で行った。私たちの地域は、駅まで5キロ近く離れている。

御所田さんの家は道よりも低いところに建っている。元々の土地はその高さだった。後から越してきた人が、競うように盛り土をして、後から道が舗装された。私の家もいくらか盛っている。
「日が当たらないから」
と義父が言った。隣の家がさらに盛り土をして、義父はそれが気にくわない。隣人の人格まるごと否定する。隣人は犬を飼っている。犬まで憎い。御所田さんの家はもっと日が当たらない。放し飼いされている隣人の犬は、たまに御所田さんの庭の柿の木の根元でウンコをする。

「壁の間で水が漏れている」
と義父が言った。洗濯機の裏あたりである。耳を済ますと、雨降りのような音がする。音に気づくと割合ざあざあ降りだ。水道の元栓を閉めると音は止んだ。
「この前の洗面台の業者が、しくじったんですかね?」
「いや、そうじゃねえ」
「どうして床に染み出てこないんですか?」
「水は下に行ってる。この家は土台が長いんだよ。段になってるだろ? だいぶ土を盛ったから」
「そうすると、床下が沼みたくなってるかもしれませんね」
義父が私の冗談を真に受けたのかは知らないが、元栓はずっと閉めておくことになった。開けるのは、風呂を沸かす間だけである。その間に洗い物も全部済ます。どこからかポリタンクが用意され、台所の隅にずらりと並べられた。トイレにもペットボトルが置かれた。私はなるべく水分を取らないよう心がけた。ナミミは生理だから気の毒だ。

風呂はシャワーが使えないからまともに頭を洗えず、そのため頭がかゆくなった。急激に気温が上がったのは不運だった。寒い時期でないのは幸運だった。私は髭も剃らなかった。私は大して髭が濃くないので、剃らなくても誰にも気づかれなかった。私は午前中は不機嫌だったので、あまり誰とも顔を合わせなかった。私は男だが、喉仏も全然出ていない。午後になると少し、気分はマシになった。

夜になって髭を剃りたいので、私だけ銭湯に行った。ひさしぶりに鏡を見ながら剃った。シェービングクリームをまんべんなく塗ることができた。鏡に写る私は、だいぶ父親に似てきた。髭が濃いぶん、瞳が薄く見えた。私は元々瞳が薄い。あるいは濃い。そのため白目以外は真っ黒で、目に表情がない。銭湯には大学生グループがいて、引き締まった体もあれば、そうでないのもあった。