意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

逆から取り組む自己実現

午前中、会社で今期の目標がどうのという話を受け、夢とか目標について考えた。説明をしたのは係長で、係長の説明はたいへんテンポが悪く、私はイライラした。期限を切るのにいちいち手帳を見た。そんなのポーズである。ポーズでなければ、本物の無能だ。ただでさえ、仕事が立て込んでいたのに。私は積極的に質問をし、係長の存在意義そのものを粉砕してやりたかったが、まわりの人に媚びていると思われても癪なので、質問は控えた。天気は朝は曇っていて肌寒かったので、私は上着を羽織って会議室へ行った。途中からいつの間にか腕まくりをしていた。係長は私のメモ書きを熱心にのぞき込んでくる。私は上の余白に書いた
「12日、午前」
という部分を、鉛筆でぐるぐる巻きにした。そもそも、この人はいつから係長になったのか。私が入った頃は所長代理だった。面談の時に
「あなたは私の上長か?」
と尋ねると、
「直接、てわけじゃない」
と言われた。そのときは、会社自体が混乱していたから、本当にはっきりしていなかった。社長が自殺して、常務と専務で跡目争いを繰り広げたのである。その混乱に乗じて、私の給料は下げられた。

小学生の夢第一位が、なんなのか知らないが、世の中がプロ野球選手だらけになったら立ち回らなくなる。お金持ちになりたいという人の夢が全員叶ったら、というか、貧乏人あっての金持ちだから、そういうことはありえない。神社で手をあわせて願い事を唱えてから、それがいつまでたっても叶わないのは、結局実現が「ありえない」からではないか。結婚にしても、誰かが結婚したら誰かの結婚の確率は低くなり、誰かが独り身を貫こうとすれば、それだけ出生率は低下する。何かを得ようとすれば、何かを失う。自分が失わなければ、誰かが失う。

当たり前のこと、と言われればその通りだが、そのことを踏まえて尚且つまだ何かを望むのか。だったら逆に、何かを失うことからスタートして、そこから何かを得ようとするやり方だって、あってもいいはずだ。失う、とか犠牲、とか。