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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

お金

昨日は母の日でしたね。シキミは自分の母親に何かプレゼントをしようと思い、
4月くらいに母親に何が欲しいか尋ねると、
「お金」
と言われたので、お金をプレゼントすることにしました。現ナマです。封筒は自作しました。お札を折らずに入れられるくらいのサイズです。加えてお手伝い券なども入れたので、ずいぶん大盤振る舞いでしたとさ。ナミミは部活でした。

一連のそれらを見て、私が思い出したのは、小学6年のときに、卒業文集のなかで、クラスのひとりひとりが一ページの中に区分けされたスペースを各自がもらい、似顔絵と予め決められた質問に答えるというのがあった。質問の三番か四番に
「今いちばん欲しいもの」
というのがあって、そこにはなんとクラス全員が、
「お金」
と記入した。クラス一の才女である片桐女史も、「○○、お金」と、クラス内の空気を察したように付け足してあった。関係ないが、私のランニングコースの途中に空き家があって、場所的に彼女の家ではないとわかっているが、表札が「片桐」となっていて、私はその前を通る度に、彼女の一家が夜逃げしてしまったような気持ちになる。随分前に空き家になったようで、門から家の途中は雑草が生い茂り、庭木には蜘蛛の巣や蔦が絡まっている。広い庭の家なのだ。私は、村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」に出てくる空き家のことを思い出す。ねじ巻き鳥の主人公は無職で、いなくなった猫を探しているうちに、家の裏の路地の先に、空き家を見つけるのである。空き家の庭には、鳥の彫像と、井戸がある。路地は、かつては道として機能していたが今は家が立ち並んでいつのまにか塀で囲まれてしまい、完全な袋小路になっている。いや、入り口すらないから、袋でもない。主人公の叔父は、通ることのできない道を残すと、あまり良くないことが起きる、と予言をする。

私がねじ巻き鳥クロニクルを初めて読んだのは高校生のときで、それから2回か3回通しで読んだ。生まれて初めて読んだ村上小説であり、初めて読んだ長編小説でもあった。だから、私の中で「小説」と言えばまずはこれであり、これを読めばセックスも暴力も戦争も超能力も猫も井戸も全部そろっているから、大変お得なのである。

話をお金に戻すが、それより一年くらい前のバスの中で、担任が
「欲しいものがお金、というのはおかしい。本当に欲しいものはお金で買った商品の方だろう」
と言った。東京見物か、修学旅行のバスの中の話だった。担任の話は一理ある、と私は思った。それなのに、どうして「欲しいもの:お金」となってしまうのか。

思うに、私が小学生のときには、アニメで「お坊ちゃまくん」とあと、タイトす
ルを忘れたがディズニーのドナルドの叔父が主人公のやつがあって、その叔父が大変な資産家で、オープニングでは毎回コインでいっぱいになった金庫の中を、この叔父が泳ぎ回るシーンが流れるのである。お坊ちゃまくんでは、一万円札をトイレットペーパー代わりに使用したり、金塊を漬け物石として置いたりする。つまり、私や妻の世代は、そういうのの影響で、お金そのものが目的物になってしまったのではないか、と思った。本当はちっとも思わなかった。

片桐女史は本当に勉強ができて少しお高く止まっていたせいで、他の女子からやや疎まれていた。彼女は「お坊ちゃまくん」なんて観なかっただろう。村上小説は読んでいるかもしれない。