意味をあたえる

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遅刻の心理学

今朝、通勤途中まできたら携帯を家に忘れてきたことに気づき、いっしゅん引き返すか迷ったが、結局戻った。最近いろんなブログで「ネット断ち」のような話を聞くので、たまには携帯なしで過ごすのも良いかもしれないと思った。天気も台風一過でとてもいいし。昨日シキミの手紙で、登校時間を遅らせる場合は、朝6時に連絡網をまわします、とあったので、私は5時45分に目覚ましをセットして、昨夜は寝た。目覚ましだって携帯である。私たちはリスクを一箇所に集中させすぎではないか。私が寝ている部屋は二階にあって、電話は玄関にあるから、そのまま寝ていたら気づかない可能性もある。気づいても、取りに降りる間に切れてしまう可能性もある。階段を、それも寝起きで急いで降りるのは極めて危険だ。そうでなくでも私の家の階段は急なのだ。私自身はそんな風に思ったことはないが、私の妹は、
「お兄さんの家の階段は、とても急なのよ」
と、しょっちゅう言う。言われる度に、私は家に帰った後、注意深く階段をのぼってみるが、やはりそれほど急には感じない。そもそも妹はいつ、私の家にやってきたのか。私の両親だって、シキミが生まれたのを最後に、一度も来ていない。

一階の、私たちがご飯を食べる部屋には水色のソファがあって、ソファは随分年季が入っているが、作りのしっかりしたものらしく、今でも座り心地は良い。そこで横になって、私はやがて眠った。壁一枚隔てて玄関なので、ここなら電話が鳴ったら起きられるだろうと思ったのである。私は寝起きが大変よく、昨夜も後から妻が布団に入ったときに一度目を覚ました。私自身はおぼえていないが、私は夜寝ていても、ちょっとした物音で目を開けるようだ。私はゴルゴ13を読み過ぎたのかもしれない。ゴルゴ13は父の愛読書である。私は父が死んだら、ゴルゴ13カムイ伝を形見としてもらう約束をしている。妻は部屋に大量の本を置くことを嫌がるが、形見ならば、勝手に捨てるわけにはいかないだろう。とにかく私は一流の殺し屋になりきって、夜中でも神経を張り巡らせるが、だからといって寝不足とか、そういう症状は全くない。

だから私が今朝遅刻しそうになったのは寝坊したとかではなく、携帯をソファの上に忘れたからだ。連絡網は回ってこなかった。それ以前に、私は今年度の連絡網を目にしたことはない。もし回ってきたら妻を起こそうと思っていた。妻はいつもよりもほんの少し早く起きた。ナミミはいつまでも起きてこない。台風のせいで朝練が中止になったのだ。水色のソファの部屋の真上がナミミの部屋になっていて、6時半になると、携帯のバイブが天井中に響き渡る。ナミミは携帯を床にじか置きしてきるのだ。

最近他の人のブログで、「ネット断ち」「携帯断ち」のような言葉をよく見かけるので、私はそのまま会社に行ってしまっても構わない、と思った。今日は天気もよく暑くなる。天気が良ければ、休憩中も本が読めるので、暇もつぶせる。私の部署は休憩中は電気を消すから、天気が悪いと暗いのだ。

家からはだいたい1キロくらいのところまで来ていた。橋もひとつ渡った。比較的新しい道で、周りは田んぼばかりで、その中央に巨大な工場がある。工場にはたくさんの主婦のパートが働いていて、彼女たちは毎朝専用のバスに乗ってやってくる。バスともすれ違った。川は昔よく氾濫した。ちがう。川のそばの地域の水はけが昔はとても悪くて、大雨が降ると、その地域の人は難儀したという話しだ。そういう場所には、後から越してきた人がなにも知らされずに家を建てたので、元から住む住民は、彼らを「新住民」と言って馬鹿にした。今から二年くらい前に、その地域に住んでいた女性に会った。彼女とは共通の友人の結婚式でたまたま隣の席だったので、話をして、話が弾んだのでそのあとも違う店で飲んだ。実は彼女は私のことを知っていて、私のライブを何度か見に行ったことがある、と教えてくれた。私はとても驚いて、動悸がした。しかし動悸がしたのは、その結婚式に遅刻したからであった。式場まで、駅からバスが出ていたのだが、駅が改装工事をしており、バス停の位置が変わっていたのである。私は以前にも別の友達が同じ式場でやっていたので、バス停の場所をおぼえており、そのことが仇となっていたのである。一時しのぎのバス停は、少し歩いた先の、月極駐車場のような、砂利の駐車場の前にあった。すぐそばにせまい踏切があり、その先にレンタカー屋の看板があった。夏だったので、歩いていたら汗だくになり、特にスネのあたりによくかいた。スーツを着ていたのである。それからバスはやってきて、時間的にギリギリだな、と思って焦ったが、バスには着飾った女性がひとり乗っていたので、大丈夫だろうと安心したら、その女性は別の式の招待客だったので、私は結局遅刻して、受付もとっくに撤去され、スタッフに怪訝そうに見られた。タダ飯を食うのが忍びないので、早いうちに祝儀を渡してしまおうと席を立つが、ご両親はお酌に回らなければならないので、私は必死に機を伺って、なんとか次のテーブルに向かう途中で、お父さんの肘をつつくことに成功した。遅刻の非を詫びて何度も頭を下げたが、お父さんもお母さんも怒ってはおらず、
「ありがとうございます」
と向こうも頭を下げた。包みをお父さんが燕尾服の内ポケットにしまう間、私がビール瓶を持ってあげた。お父さんと私は、ほとんど他人同士だったが、いちど家を建て替えたときに、仲間同士で忘年会をやろうということになって、新築祝いといって、菓子折りを渡したことがあった。娘の友達だという若者に、いきなり菓子折りなんて渡されて、お父さんも大変戸惑ったのではないか。

私はそのころ若者だったのである。