意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

しぼんでいく

他の方のブログを読んでいたら「しぼんでいく」という単語があって、ちょうど私は今、「ふくらんでいく」というブログでも書いているから、対義語だ、と思った。

「しぼんていく」のだから、内容もさもありなん、という感じなのだが、私はこんな風に今日の更新の足がかりにしてしまってごめんなさい、という感じなのだが、私は私の気持ちしか言葉にできない。だけれども、最後まで読んで、私はたまに妻や家族が思っていることが、真剣にわからない時があり、私は傲慢だからそういうときは大抵、「伝える言葉を持たない向こうが悪い」なんて腹の底では思いつつも、顔では気の毒そうにしている。もちろん私はプロの演者じゃないから、向こうも私のインチキに薄々気づいてはいるのだが。

私は自身が「ふくらんでいる」ときは、世の中全体がふくらんでいると思っている節があり、もちろん理屈では、世の中は百科事典のように、あらゆる感情が一揃いしてるのですよ、というのはわかっているが、わかっていない。よく、「世界がキラキラしているように見えました」とかいうのがいい例だ。冬の風にあたりなから、歩道を歩いていたら、いきなりぱっと視界が開けて胸の中のわだかまりが、すっと落ちた経験が私にもある。私は急に胸をはって歩きたくなったので、そうやって歩いた。踏切のそばだったので遮断機が降りてきて、警笛が祝福の鐘の音のように聞こえた。

世の中がいきなりきらきらしたとしても、それは錯覚に過ぎず、そのきらきらを構成している一部分をよく見てみると、本当はどす黒い、昭和30年代の排水垂れ流しの川のようだった、ということはあるが、それを見て見ぬ振りし、私たちのいいとき悪いときは、野球の攻守交代みたいなものだから、今度悪いときがきたら、いいときのあなたには文句言わないよ、と手前勝手に約束したりする。そして、実際そういうときがやってくると約束なんかとうに忘れ、世の中全体がしぼんでいかないのが空気を読まない礼儀を欠いた行為に感じ、悪態を付きたくなるのである。

今日は比喩を頑張った。