意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

雷で夜中に目を覚ます

光ってから音までの間隔をカウントする私に気づいた。それほど近いわけではないらしい。雨が激しいからやがて止むだろう。シキミも目を覚ました。私はこれが雷であることを説明した。
「これは雷だ」
と私は言った。雨もひと粒ひと粒が破裂するような降り方をするし、これはきっと隣の家のベランダの、プラスチックの簀の子に叩きつけられる音だ。隣の家はおばさんが一人暮らしで、去年の大雪のとき、おばさんの家だけ瓦が崩れた。今度は簀の子が割れるのかもしれない。おばさんは、一昨日の物まね番組の素人に似ていた。私が家族にそのことを教えると、みんな、
「わあ、ホントだ。**さんにソックリ!」
と喜んだ。素人は男だったから、みんな気づかなかったのだ。私は柔軟な思考を心がけているので気づいた。しかし、柔軟な頭を持つ私には、物まね番組はツラかった。なにより、それは録画していたもので、録画していない方も、私はある程度見ていた。私は、審査員の
「あー、似てる似てる」
と、感心する姿がいたたまれなくて仕方がない。だって似ていないんだもの。それか、似ていても「で?」てなってしまう。それか、そもそも似させている先を知らなかったりする。私は、自分が物まね審査員であったらと考えるとぞっとする。おそらく私は欠伸をしてしまうだろう。そうでなくても私は、年中欠伸をしている。退屈しているとか、そういうの関係なく、たとえ楽しくても欠伸をする。欠伸は脳に行く酸素が欠乏すると出てくると聞く。私は柔軟な思考を維持するために、普通の人よりも、脳の酸素が必要なのかもしれない。

「あのさ、あんまりつまらなそうにしない方がいいよ」
社会人になりたてのころ、キャバクラで言われた。フィリピンパブだったかもしれない。とにかく職場の付き合いで、私はそこへ連れてこられたのだ。私は少し疲れていただけで、実際はつまらないわけではなかった。本当はつまらなかったのかもしれない。どちらにせよ私は「つき合ってやってるんだぞ」という傲慢な気持ちでいた。隣に座ったフィリピンの女はめちゃくちゃ痩せていた。二の腕を掴むと、冷たかった。冷房が効き過ぎなのだ。

私に注意したのは、私とそれほど親しい関係の人ではなかった。私をつきあわせた人の仕事仲間だった。私は、よほどつまらなそうにしていたのか。
「そんなことないですよー」
と私は笑顔を浮かべた。私をつれてきた方の人は、全くそういうのを気にしない、図々しい人だった。デブで、天然パーマでメガネをかけ、昔仕事中に二階から転落して顔が少し曲がっていた。曲がっているのは元からかもしれない。私はこの人が嫌いではなかった。私は、むしろ図々しくて人の心に土足で入るようなタイプの方が、いっしょにいて楽だった。あと曽根さんは柔道の有段者で、酔った私があるときふざけて投げ飛ばそうとすると、容赦なく内股を決められ私は路上に倒れ込んだ。そして吐いた。

曽根さんに連れて行ってもらった店でいちばんおもしろかったのは、太った女の子ばかりのスナックで、もちろんそういうのが目新しかったのだが、私がいちばん驚いたのはそこにいた曽根さんの愛人の女が、曽根さんの奥さんそっくりだったことだ。もちろん、雰囲気で違うことはわかったが、私は
「いつも曽根さんにはお世話になってます。四月から配属された弓岡です。まだまだ慣れないことだらけでご迷惑をかけるかもしれませんが、一生懸命がんばりますので宜しくお願いします!」
と、仕事用のわざとらしい挨拶をするか一瞬迷った。私の最初の仕事は年寄りが多かったので、そういうことを言うとウケたのである。

私はわざわざ愛人をつくるのなら、もっと奥さんと違うタイプにしなければ意味がないのでは? と思った。大きなお世話だった。