意味をあたえる

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「何を伝えたかったか?」という質問の罪

これは昨日の朝の話であるが、部屋にナミミが持って帰ってきたお手紙があって、私はそれを読んだら、裏側に松谷みよこの「わたしの妹」が引用されていた。どういう話なのか要約すると、主人公の妹が転校した先の学校でイジメを受けて死んでしまうという話だ。自殺ではない。話は「わたし」にあたる人物が松谷みよこに上記の内容を手紙にしたため、出し、それを元にしてつくられた話らしい。

「わたしの妹」はどういう経緯か知らないが私の家にあり、私の家とは、今私が住んでいる家のことである。私がやってくる前からあったのかもしれない。私はあるときそれを見つけて読むのだが、つらかったので、もう読みたくないと思った。なのでお手紙での引用も、全文は読まずにいい加減に読んだ。つらいポイントは2つあり、先生も引用の後に別枠に書いていたが、

「わたしをいじめたひとたちは、もうわたしをわすれてしまったことでしょうね。

という部分で、この一文でかなりの年月、妹とその家族が苦しめられてきたことがわかる。窓の外を、かつてのいじめっ子たちが、高校の制服を着て歩いていくという描写がある。妹は学校に行けなくなり、大した教養も身につけることなく死ぬのである。自殺ではないのは、時代が古いからかと思った。お手紙には、1987年出版とあるから、バブル真っ只中で、
「自殺なんて、だらしのない者がするもの」
なんていう風潮があったのかもしれない。

私がつらいと感じるポイントはもうひとつあり、

わたしたちはこの町に引っ越してきました。
トラックに乗せてもらって
ふざけたりはしゃいだり、
アイスキャンディーをなめたりしながら、

という冒頭の場面である。このシーンは、なんとなく「となりのトトロ」の最初のシーンに似ている。それなのに片方は毛玉もこもこの妖怪と触れ合いながら植物をそだて、病気のお母さんもエンディングでは退院してお風呂に入るのに、もう一方は大した教養を身につけることなく死んだ。どうしてこうも不公平なのかと嘆きたくなる。アイスキャンディーがまた、物悲しい。アイスキャンディーを売ったスーパーマーケットのレジ打ちだって、まさかアイスを舐めた子が何年か経って死ぬとは夢にも思わないし、だいたいアイスを食べている子供なんて機嫌が良くてさらに引っ越しという一大イベントの真っ最中で、姉とはしゃぎまくってアイスがトラックのシートにぽたぽた垂れてお母さんが
「いい加減にしなさい!」
と叱られたって余裕で跳ね返せたのに、その後クラスメートから「ブタ」だの「臭い」だの言われたときはダメだった。クラスメートもまさか死ぬとは夢にも思わなかったに違いない。その点ではスーパーマーケットと同じだから、スーパーマーケットにもいくらか罪があるのかもしれない。

ところでお手紙の引用者は実は校長先生だったわけだが、引用のあとに、
「「わたし」は、松谷さんに手紙でなにを伝えたかったのでしょうか」
と書いたりしていて、私は腹立たしい気持ちになった。
「わたしをわすれてしまったことでしょうね」
の後にも、
「どのような思いで書いたのでしょうか?」
とわざわざクエスチョンマークをつけて質問してくる。学校の先生というのは、なんでもかんでもテスト問題みたいにしなくては気が済まないようだ。おそらく、引用者の校長先生も、校長というくらいだから筋金入りの教師で、このような問いかけで話をまとめないと、気持ち悪くて仕方ないのだろう。

思い返すと、私の受けた学校教育とは、このような質問や問題の連続による、物事を要約し、まとめる訓練だった。それは不確かなものを確かにする、言語化する、という面では有効だったのかもしれないが、代わりに物を見れば反射的に余計な部分を削ぎ落とす、という癖をつけられてしまった。「余計な」と書いたが、余計かどうかの判断は主観でしかできない。それはどんなに能力に秀でた人の判断でも、そのものを書いた人本人の判断でも、同じである。国語科の教師は、軽はずみに、
「作者の言いたいことはなにか?」
と言うが、それは誰がどう答えたってハズレである。試験においての正解は極めて限定的で便宜的なマルで、現実社会には全く通用しない。例えば「先月号の「文學界」で、作者本人がインタビューで答えていたから正解」というパターンもあるが、書き終えた作者は、読者と同じ立場になるから、やはり正解にはならない。書いている途中は途中なんだから、当然答えはない。作者が作品を制御できるのは、全体のうちのわずかでしかない。

私は現役の教師ではないから、どんな気持ちや事情でこのような質問が繰り出されるのかは知らないが、せめて「なにを伝えたかったか」という質問は、思考を均一化させストップさせ、それに従わないものを排除するということを意識してもらいたい。

松谷みよこに手紙を書いた人は、何を伝えたかったのか?

答えは、「イジメをこの世から根絶させて欲しい」である。しかし、出版から30年近く経った今でもイジメが大きな問題として残り、「イジメは人間の本能なんだから仕方ない」みたいな諦めの考えすら蔓延しているのは、このような質問と答えしか用意できなかったからである。