意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

耳鳴り

昼間昼食を食べてから横になっていたら、右耳が耳鳴りした。いまだかつてない音量で、近くで機械が動いていたが、その音をかき消すくらいだったから、私は目を見開いた。左耳は耳鳴りしていので、音は完全には消えなかった。私は仕事中であった。

午前中、私は仕事で嫌な同僚がいて、その人がここ二三日調子に乗ってて、昨日なんかはガムテープの芯などを組み合わせてニューヨークの信号機のオブジェみたいなのを作り出して鬱陶しい。もちろん何かの作業で使おうと言うのだ。それはいい。私の職場はけっこう緩くて、やることやれば、そこに至るプロセスなどは自由で、各自が思い思いの道具や手法を編み出している。それがいい感じだと、周りも真似したりして、さらに発展すればルール自体も変わる。私はこの自然淘汰のようなシステムが好きだ。

しかしこのバカは、といっても一応は先輩だから莫迦と言い直すが、このニューヨークの信号機を周りに売り込むのである。
「絶対これ便利だから!」
みたいな具合で。以前もそんなことがあって、というかしょっちゅうなのだが、私は極力ニューヨークの信号機に近づかずに、間違っても
「これなんですか?」
なんて興味を示したりしない。運悪く、勧められたときは、速やかに自分には合っていない旨をつたえる。そんな感じだから、最近ではあまり私には言ってこなくなったが、代わりに私よりも後に入った人に売り込んでいるのであった。作った本人がろくに使わないうちに「これ使ってみて」と言う無神経さに腹が立つのだが、これが熟慮を重ねた本物の当たりだとしても、やっぱりムカつく。なんにせよ、彼の自己顕示欲を満たしたくはないのだ。

そういうのが背景にあって、今朝はちょっとした事件もあり、これはいよいよマジギレするチャンスかも! とワクワクしていたのだが、結局は杞憂に終わった。ひとりになって椅子に腰掛けると疲れがどっと出て、疲れというか、自分の心臓がスーパーボールみたいになって、両サイドを板に挟み込まれているような圧迫感があって、
「こういうのを繰り返したら、早死にしてしまうな」
と思った。耳鳴りの遠因になったのかもしれない。とにかくその人の悪口を言える人間を少しでも増やすしかない。ニューヨークの信号機については、昼食時にみんなで、
「あれはなんだよ? 埼玉の発明王気取り?」
と言い合ったので、私は満足した。

耳鳴りの最中、私はこの音を例えるならどんなだろう、と考えていた。秋の快晴の空を、ジェット機が垂直に飛び立つ感じ、と思いついた。不意に、子供の頃に、
「重力が反転したら恐ろしいことになる」
と考えたことを思いだした。重力が反転、とは空に向かって落ちるのである。屋内にいれば天井があるからセーフ。しかし天井そのものも落ちていけばアウトなのだが、やはり天井があればいくらかは頼もしい。同じように木とか、街灯などあれば、そこに引っかかることができる。私はそういう考えに取り付かれたときは、外を歩くときはヒヤヒヤしたのであった。

それから私は、重力について考えたこともあって、重力は上から降りかかってくるものなのに、どうして屋根の下などは無重力にならないのだろうか、ということを、主にトイレの中で考えた。


※それからこれは思いつきなのだが、私が過去にこのブログに書いた記事の中で、もう一度読みたいものや、続きが気になるもの、書き直してほしいものがあれば、そういうのを教えてください。私の中でも記事の気に入っている・いないがあるから、必ず応えられるかはわかりませんが、たまには過去を振り返って、書き直すとかしたいと思います。良かったらお知らせください。形式はコメントでもメールでもTwitterでも問いません。匿名希望の場合はその旨も言ってください。

※小説「余生」の更新は今日はありません。