意味をあたえる

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逆上がり

朝一番に
「今日はこれをブログに書こう。これは大変愉快な記事になりそうだ」
と思っていたが、忘れた。そのときに一気に書いてしまえば良かったのだが、まだ朝も早いからとか思ってためらっていたせいだ。「朝早いから」なんて、私も一年ブログを続けてきて、ようやくユーザビリティとか、読み手のことを考えられるようになったのだろうか。しかし、私が朝早く記事を書いたからと言って読む人がその時間に画面を開いて読むとは限らない。文字はその場限りのものではない。だから私が24時間のいつに書こうが、書くものに対してはなんの影響もないのだが、本当にそうだろうか?

さっきズイショさんと、Twitterでやり取りをしていて、私が
「ブログは長い小説を書くのに向かないから何かいいアイデアはありませんか?」
と尋ねると、色々教えてくれた。私が「ふくらんでいる」というブログに熱心に記事を投稿しているので親切なのだ。アイデアの中に、記事の更新日時を未来の日付にして、インフォメーションのページをつけたらどうか、というのがあって、私も購読しているブログでいくつかそういうのがあるので知っている。ただ、はてなの仕様なのかRSSがそうなのか知らないが、記事が更新されたときに、通知でやってくるのは未来日付の古い記事なので、私は同じ記事ばかり読まされてしまう。だから、ブログというのは「途中経過」を読むものであって、本来は始まりも終わりもないものなんだ、と私は今気づいた。長い小説がブログというフォーマットにそぐわないのは、そういうことなのである。小説には終わりと始まりがある。だけれど、私の小説は比較的終わりと始まりが希薄だから、いくらかブログに合っている気もする。興味のある方は、是非読んでみてください。

日付の操作といえば、私はシンさんのブログを早くから思い出していて、シンさんは新しい記事でも日付が「4日前」となっていて、最初はやはりなにかの不具合かと思ったが、読んでみると「推敲されつくした」という感じがして、こちらもゆっくり読むようになる。言葉を吟味して、自分の思考との誤差を限りなくゼロにする、という気概が伝わってくる文章だ。

一方の私は誤差を利用して、自分を拡張しようと目論んでいるのであった。

最近シキミが
「逆上がりができない」
というので、今日はいくらか過ごしやすそうなので、公園まで歩いて行った。最初はパーカーを羽織っていたが、到着して一回転二回転するうちに暑くなって脱いだ。
「手を伸ばすな」
「顔を下げるな」
が私のアドバイスだったが、合っているかはわからない。私だってそんなに運動は得意ではなかったから。しかし逆上がりは今でもできる。20代前半のころに、私はバンドを組んでいて、ライブのリハーサルが終わった後に暇だったからメンバーとぶらぶらしていたら、公園があったので、そこで逆上がりをしたら、数年ぶりだったからもうできないだろうと思っていたが、すんなりできたから驚いた。それで興奮して、
「うおー、できたよ俺。逆上がり、できた」
と喜んでいたら、近くの主婦たちにクスクス笑われた。比較的大きな公園で、主婦たちは日陰で休んでいた。あのときベビーカーの中ですやすや寝ていた乳児も、今は10代後半になって、世界の半分はわかったつもりになっているのだろう。

※シンさんのブログはこちら

※小説「余生」先週更新分をまとめました。

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