意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

昨夜の夢

まずは昨夜見た夢について記述すると、私は夢の中では6年生で、6年生でない可能性もあったが、教室が3階だったので6年生だった。最初は校庭で体育のようなことをやっていたが、私はとても頭が良い生徒だったので、門のあたりで授業をサボっていた。担任はそのことについて私になにか言いたげだったが、私が頭が良いので何も言わなかった。門のすぐそばに下駄箱があり、そこから北と南に校舎があり、下駄箱はその間の渡り廊下の部分に作られていた。私たちの教室は北側の3階である。南側は2階までしかない。南側の1階の端は、複式学級の教室だった。私は複式学級の生徒の顔はみんな忘れたが、先生は北海道の開拓民のような顔立ちをしていた。黒縁のメガネをかけて楊枝をいつも口に加え、ダボダボの黒のスラックスを履いていた。口が大変臭そうだが、夢なので臭いはなかった。私のクラスは彼から図工を教わっていた。だから、図工の時間は誰か他の先生が複式学級を見ていた。複式学級の教室は、幼稚園の玩具のようなものがたくさんあった。図工の教師はオギワラという名前で、私たちは
「オギ、オギ」
と呼んだ。他の先生なら、あだ名で呼ばれたら怒るか、殴るかしたが、オギは全く怒らずにニコニコしていた。アダルトビデオとか好きそうだから、にやにや、が近いかもしれない。私たちはおそらく、複式学級の教師だから、オギのことも知恵遅れの教師とか思っていたのかもしれない。そのころ、私は絵がとても大嫌いで、特に自然物なんてまっぴらだったが、図工の新年度の最初のテーマは、毎年写生会とかそんなのだったから、私は春そのものが嫌いだった。私は
「なんでもいい」
というのが、苦手な生徒だった。「なんでもいい」はなんでも良くなかった。写生は必ず、鉛筆で下書きし、その線をフェルトペンか割り箸ペンでなぞってから、水彩絵の具で色をつける。私は色を混ぜる作業が嫌いだった。混ぜる作業は、曖昧な作業だったからである。割り箸ペンは、若い人は知らないかもしれないが、割り箸を鉛筆削りで先をとがらせて、そこに墨汁をつけて書く行為である。墨汁は家から持参した缶詰めに垂らした。忘れた生徒は、筆を洗うバケツに垂らした。バケツは黄色かった。私が割り箸ペンを使用したのは小学3年か4年のころで、そのときの写生会は雨だった。私たちは裏側の渡り廊下に腰を下ろして、孔雀の絵を書いた。すぐそばに孔雀の小屋があったからである。孔雀の小屋のすぐそばが、図工室だった。私は渡り廊下のコンクリートに直に腰を下ろすより、図工室の椅子に座りたかった。図工室から孔雀は見えない、というのなら、図工室の壁の絵でも書きたかった。コンクリートはひんやりとしていた。私はこんなことは早く終わって欲しいと思った。