意味をあたえる

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活け作り

寝てないのに寝違えたような痛みが背中にある。首を前に折り畳むと、肩甲骨の間が痛い。肩甲骨の内側の筋肉をマッサージしてもらうと気持ちいいが、そこを網で焼いたらおいしいのではないか。骨の近くだし。逆に言えば、お魚でもお肉でも、私たちが「おいしい、おいしい」というぶぶんは、動物からしたら「凝りやすい箇所」なのかもしれない。

昔都内の居酒屋で、そこは階段を下りて地下にある店だったが、刺身の盛り合わせを頼んだら、活け作りが出てきた。「活け作り」というメニューだったかもしれない。それで、魚の頭は活け作りなので当然まだ生きていて口をぱくぱくさせていて、友人のひとりが刺身のひとつを箸でつまみ上げて魚の口元に持って行き、
「ほら、共食いだよ」
と言ってのけた。「ほら」というのは、魚に対しての呼びかけである。さらに昔「金田一少年の事件簿」という漫画で、医学生献体された死体を解剖する授業で、ふざけたひとりが死体の耳をメスで切り取って壁にくっつけ、
「壁に耳あり」
なんて言って、コマの中の生徒たちは爆笑しているが、読んでいる私たちは「これはちょっと」みたいなのがあったが、「共食い」に際して、コマの中の心境なのか外の心境なのかは忘れた。でもあまりウケなかったように思う。それより私は、これを魚をかじったとして、それを彼は食べるのか? 食べたら間接キッスだな、と思った。おそらくそれ以来活け作りは食べていない。

金田一少年と書いて思い出したが、何回か前の記事で高校生で初めて小説を書いた話をしたが、その中で主人公がローソンで金田一少年を立ち読みするシーンがあり、それはすでに購入済みの読んだことがあるやつで、それを読み終わった後、団地のすぐそばの雑木林に行くと、自分の想いを寄せる人が、首を吊っているというシーンがある。もちろん自殺に追い込んだのは主人公なのである。私はドストエフスキーの「悪霊」のシーンを真似してそれを書いたのだが、実際に読んだことはなく、読んだのは遠藤周作の「ほんとうの私をもとめて」というエッセイを読んだら、「悪霊」にはそういうシーンがある、とあって、興味を抱いたのである。それから10年くらい経って私はようやく「悪霊」を読むのだが、件のシーンは、最後の最後にようやく出てきたので、随分と骨が折れた。


※小説「余生」第18話を公開しました。
余生(18) - 意味を喪う