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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ブログ再放送

ここ何日か、あまり文字を書く気力が落ちているので、ブログ再放送でもやってやろうと思い、そういうアイディアは前からあって、そうすると今でも覚えている記事がひとつあって、それがこれです。

 

fktack.hatenablog.jp

 

覚えているのは、会社帰りに前を走る車が外に次々にゴミを投げていくシーンで、ゴミのポイ捨てというのは滅多に目にすることがないし、見ても大抵はなんとなく腰が引けたような投げ方をするものだが、この車は実に堂々とゴミを投げまくるので、私はある意味気持ちが良かった。しかし車間距離は開けた。投げつけられた道路の方は、いずれ四車線に拡張する予定の二車線で、用地だけ確保された状態で土がむき出しになっていて、人が立ち入らないようオレンジ色のネットが張られている。窓から投げたれたコーラのペットボトルはそのネットに絡め取られた。野球で言えば2ベース、といったところか。

 

それから記事の中で「雷」という言葉が登場し、私はそんなことは書いた記憶がなかったので驚いた。そういえば先ほど三森さんが私の記事を言及して下さり、その記事のタイトルが「短距離走」だったのだが、どんなことを書いたのかすっかり忘れてしまっていたので、ちょっとドキドキした。読み返したのだが、「短距離走」という言葉を私が言ったのか三森さんが言ったのかわかりづらくてイライラした。しかし言ったのは私の方だ。それくらい覚えている。私は元来忘れっぽい性格なのだが、ブログの記事に関しては、書き終えたら速やかに忘れるように心がけている。

過ぎ去ったものを自分の資産のように扱うと身動きがとれなくなる

 というのは私が即席で考えた格言だが、過去の自分との折り合いの付け方は、なにも文章に限らずなんでも重要だと思う。なので「ブログ再放送」なんてやっている私のブログも、そろそろ終わりが見えてきたのかもしれない。

 

ところで雷といえば、私が小学1年生のときに、学校帰りにものすごい雷がなっていた時があり、そのとき私は1年生なので、下校時刻の関係で周りはみんな1年生ばかりで、みんな怖くて泣きながら、雨に濡れながら帰っていた。誰かが傘は導体で雷は電気だから、差すと電気が体を突き抜けて死ぬ、と言ったからである。対してゴムは絶縁体だから安全、とランドセルの横のフックに輪ゴムをたくさん括りつけている人がいた。輪ゴムは彼の趣味なのだろうか? それとも天気予報でも見たのだろうか? 私はそんなにたくさん輪ゴムがあるなら、ひとつくらい分けてもらいたかったが、彼は耳を貸さなかった。

 

「ヘタしたら死ぬかもしれない」という気持ちで私と友達は歩いていたわけだが、ふと空を見上げると雷が私をめがけて落ちてきていて、私は

「あぶない!!」

と叫んで横っ飛びをした。雷は道路の真ん中に落ちて、そこは少し黒っぽくなっていて、避けなければ私は今頃死んでいたか、重篤状態になっていただろう。私は次の日の学校で、その臨死体験についてクラスメートに自慢気に話したが、誰も相手にしてくれなかった。一緒に帰っていた友人も「俺も自分で手一杯で、全然気付かれへんかったわ」みたいな表情をして、私の元を去った。

 

その後光の速さとか、そういう教養を身につけた私は、雷を避けるなんて、いくらなんでも話を盛り過ぎやろ、と過去の自分に突っ込みを入れるようになったが、保坂和志とかそのあたりを読んでいると、俺は確かにあのときは雷を避けたんだ、という気がしてくる。

 

山下澄人の「緑のさる」という小説の中に山下と保坂和志の対談が付録としてついていて、その中で二人が

子どものときに甲子園に野球を見に行ったことがあるんですけど、自分の記憶ではアルプス席からブリーデン(※阪神タイガース往年の名5番バッター)だけがすごく大きくはっきり見えるんですよ。表情まで見えた。

保坂 俺なんか横浜スタジアムの外野席から、ボール1個分の差の「ストライク」「ボール」 が、ちゃんと見えるよ。

山下 見えますよね。

 というやりとりを、平然としていたからである。ちなみに私はこのとき初めて保坂和志という小説家を知った。写真の保坂和志は横縞の襟巻きなんて巻いて、偉そうである。

 

※小説「余生」第16話から20話までまとめました。

余生(16) - (20) - 余生