意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

排泄の夢

今朝排泄する夢を見て起きたら3時過ぎだった。私は喉が渇いていた。昨夜父親からもらったトマーティンというスコッチウィスキーを飲んだためだ。それは今年の正月に酔っ払って飲むものがないから、つまり酔っ払うまで飲んだからもう酒はないので、極めて道理に沿っているのに、我々はまだ酒を所望した。我々とは、父と私と弟である。

それでそのときには、トマーティンが父の座椅子の横に、円筒の箱に入ってあったので、
「飲もうぜー」
となった。私が蓋に手をかけたのだが、私はてっきり普通のウィスキーみたいな、缶状のひねるタイプの蓋かと思ったらコルクで、私は酔っ払っていたので、力任せにひねってコルクをへし折ってしまった。私は以前もへし折ったことがある。それで、
「飲めねーや」
となって、そのときはもうそれで諦めた。新しい酒はどこかから出てきた。

それから半年くらい経って現在になり、二週間くらい前に実家に行ったらトマーティンはそのまま置いてあったので、
「くれよ」
と言ったらくれた。

私は以前もへし折った、と書いたがそのときは別の瓶に移し替え、そのときにこぼれたり、コルクの屑が新しい瓶に入らないように100円ショップで漏斗とちっこいザルを買ってきて、移し替えたので、今回も同じ方法でやろうと思い、最近まで飲んでいたキリンの富士山麓というウィスキーを飲み干し、それから移し替えた。すでに酔っていたのか手元が狂って新しいウィスキーは少しこぼれた。あふれたのである。

それで富士山麓の瓶は600mlしか入らず、トマーティンは750だったから、全部入りきらなかったのである。しかし、600というのは瓶の上の上まで入れて、ということではないし、また、さっき少しこぼれたから、案外入りきったりして、とか思ったらやっぱり余った。予想よりも多かった。だから、それを飲み干すことにしたのである。もちろん最初から飲むつもりではいた。水を入れたり氷を入れたりして飲んだが、喉が渇いて目が覚めた。午前3時過ぎである。夢については、「ふくらんでいる」というほうのブログに書いた。

ふくらんでいる — fktack

その続きだが、その前日のウンチをする夢に関しては、東武デパートの段差を上がったところにトイレがあり、こういうところのトイレは綺麗だ、と安心して用を足そうとしたら、それが共同便所だったので面食らった。面食らった、と書いたが、やはり夢なので私は当たり前のように他の人の前でズボンを下ろして便器に腰を下ろす。ベンチのように同じ高さの等間隔に便器は並び、すぐ隣がTOKIO国分太一で、その向こうが長瀬智也だった。国分くんは例の半笑いのMCよろしく喋りまくったので、私は排泄作業に集中できず、もっと困ったのは長瀬君のほうで、彼は長い腕を私の尻の下にねじ込ませて、露骨に私の排泄を妨害してくるのである。悪童と言った感じだ。これには参った。このまま腕に糞をひっかけてやろうかと思うが、私は優しいからそんなことしたら悪いな、とか思ってしまうのである。とにかく困ったので、あとでリーダーにきつく叱ってもらおうと思い夢は覚めた。その覚める段階で、私は寝グソをしたんじゃないかと、肝を冷やしながら自分の尻を触って確かめたのである。今朝の夢のときは、早い段階で
「もしオネショをしていたら、もっとパンツが不快なはずだ」
と冷静に判断ができ、自分の股間を触らずに済んだ。実際私は就学前に、トイレに行く夢を見てオネショをしたことがあり、そのことをありありと覚えているから、漏らす感覚も残っているのである。オネショ、というのは様々なパターンがあるのかもしれないが、そのときのオネショは、本当のところ私はいくらか覚醒していた。オシッコを出す瞬間に、
「ここはトイレでない可能性があります。出しますか?」
という質問が脳から出され、私は「YES」と答えたのである。もちろん「NO」と答えれば、こらえられたのである。質問の瞬間に、自分の年齢とか布団を汚した場合の母の反応や、父が遅出で家にいるかどうか、を素早く検討し、最終的にゴーサインを出したのである。私はそのとき父の布団で寝ていたから、父が不在だということは最初からわかっていたのである。

現在私はもうひとつのブログのほうで「余生」という小説を連載しているが、その冒頭の場面は主人公の母親が死ぬ夢を見るところで始まる。それは私の実体験でもあって、母が死んでいて「死んでしまったか」みたいな夢を見ていて、それから徐々に覚醒に近づくと夢であることに気づき、しかし母が生きているか死んでいるかについては全くわからない。暗い地下通路のようなところを覚醒に向かって歩き、その間中母が生きているか死んでいるか、を自問自答し続けるのである。夢と覚醒の間に、こんなに長い距離があるとは思わなかった。向こう側に光が見え始めると、どうやら母はまだ生きている、ということが思い出され始め、ある瞬間から確信に変わる。そういえば葬式とかやってねーじゃん、とか思って一安心するのである。

しかしどのくらい先の話かはわからないが、その通路の出口はある日突然母の死に直結し、もう二度と変えられなくなるのである。


※小説「余生」第21話を公開しました。
余生(21) - 余生