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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

君は暗さに憧れてはいるが君自身は暗い人間ではない

数日前に私が書いた馴れ合いどうこうについての記事で、ブックマークにつくコメントについても書こうと思ったが書きそびれた。

ブックマークにつくコメント、というのは私が今利用しているブログサービスの機能のひとつで、特定のサイトをお気に入りに登録するサービスがブログも含めた全体の機能の中にあるのだが、登録の際にコメントを入れられる、ということだ。自分でも何を言っているのかよくわからない。自分がお気に入りの際に入れるコメントなのだから、本来は自分向けのインデックスとか、感想を書き込むものだが、いろんなところに表示されるし、ことブログに関しては書いた人にも通知がいくので、最初から書いた人向けにコメントが飛ばされることが多い。

という認識で私は今書いているから、今話題になっている、「機械がブックマークしているのか、それとも人間か?」という風に書き手が気を揉む行為は不毛だと思う。「励み」という言葉が軽々しく使われてしまうが、もちろん私だって良い反応がくれば、少しくらいは「よし、頑張ろう」なんて思うが、本当は良くても悪くても、同じ調子で書かなければならない。だから、「頑張ろう」と思ってしまったら即座に「頑張るな」と打ち消すようにしている。私が書きたいのはみんなが「読みたい」ものではなく、「読みたいという発想すらなかった」ものである。

なんにせよ、長く書き続けるためには読み手の反応に寄りかかりすぎることは危険なことで、安易に「読者を喜ばせよう」と思うことは結果的に自分の首を絞めることになる。そういえば最近「もっと改行を増やしたほうが読みやすいですよ」というコメントをついにいただいた。私は自分のブログも少しは周知されたんだということが実感でき、嬉しくなった。ところで、読みやすい、てなんですか? それは読者を馬鹿にしている行為にはなりませんかね? 読みやすいブログというのは、私にはお粥ばかり出てくる飲食店を連想させる。

だから、コメントを寄せるのは人間でも機械でも、気にせず書きなさいよ、というのが私の意見だが、その機械かもしれないアカウントというのが、コメント欄にそのブログのタイトルを入れてくるのが面白い。なにかのメッセージがあるのかもしれない。私はふと思い出したが、そういえば村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」という短編集の中に「嘔吐1979」というのがあって、それは登場人物がひたすら吐きまくってみるみる痩せ、体型もすっかり変わったから新しい体型用にスーツをつくるという話しだった。なぜ毎日嘔吐するようになったか原因がわからないのだが、そういえば嘔吐が始まった日から必ず知らない人から電話がかかってきて、知らない人なら悪戯とかなのかもしれないが、必ず自分の名前を言って電話を切るのである。「自分の」というのは、電話をしているほうではなく、されているほう、つまり嘔吐している側である。嘔吐は3ヶ月か半年してやがておさまるのだが、その最後の日の電話では、それまでと違って
「私が誰だかわかるか?」
と質問するのである。
「わからない」
と嘔吐が応答(なんつって)すると、そこで電話は切れ、二度とかかってこないのである。嘔吐もその日以降しなくなる。だから、嘔吐と電話、あるいは自分の名前にはなにかの因果があるのかもしれないと登場人物は考えるが、結局明かされることなく終わる。

ちなみにタイトルの「1979」は1979年のことであり、この吐き続けた期間が1979年だったことに由来する。私の生まれた年も1979年である。もしかしたらサルトルの「嘔吐」になにか引っかけているのかもしれないが、私はそっちは読んでいないから知らない。それでブックマークに自分の記事のタイトルが載せられてやってくるなんて、この話の、電話で自分の名前を言われて切られるのと、なんか似てるなーと思ったのである。

ちなみに、私は案外楽天的で、この謎のブックマーカーが現れたときには、不気味さを感じつつも、この人が選んだ200だか2000のブログに、自分のも入れてもらえたんだ、と光栄に思ったりした。彼が実際に1日どのくらいの数のブックマークをしているのかは知らないが。

タイトルは、そんな私のことをある人が表した言葉である。ある人、というのは私のドラムの師である。物を書く行為に、性格の明るい暗いはあまり関係なさそうである。


※小学「余生」第21話から25話までまとめました。
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