意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

じゃり道

私の家の前の道はじゃり道でした。じゃり道は、雨が降るとでこぼこになって、元からでこぼこなのですが、雨に削られて、穴はどんどん広がり、深くなるのです。私の中で水たまり、と言えばじゃり道の水たまりなのです。たまにアスファルトの裂け目にできる水たまりもありますが。

そういう水たまりを自転車で走るとき、普通の自転車なら問題ありませんが、補助輪つきだと、水たまりの上に後輪が来てしまうと、補助輪には自走する力はありませんから、後輪がちゅうぶらりんになって、前に進めなくなります。そんなときはサドルから降りますが、大きな水たまりだと足が濡れてしまうのです。そんなとき私は泣きました。泣いたのだと思います。あるいは泣きませんでした。私は長男でしたから。

一番賢い方法は、道路のど真ん中を走ることでした。じゃり道の水たまりは、車のタイヤによって作られました。ですから、タイヤの乗らない真ん中はじゃりが寄って少し盛り上がり、そのため自転車の後輪が空回りすることは絶対にあり得ないのです。または、端っこを走るのも手です。しかしそこでバランスを崩してしまうと──

気がつくと私は側溝に頭から落ちていました。側溝、というとコンクリートの「凹」の形のものを思い浮かべるかもしれませんが、私が幼い頃の側溝とは川のようなものでした。当時の私のサイズから考えれば、谷底に落ちたようなものです。私はそのとき、「宇宙刑事ギャバン」の自転車に乗っていました。私は雨上がりの道を、どこかへ向かっている途中でした。私は、世界の仕組みをだいぶ理解してきた年齢であり、私としてはちょっとした旅行のつもりで家を出たのです。親には、
「出かけてくる」
とだけ言いました。「宇宙刑事ギャバン」は、だいぶダメージをくらいました。しかし私の体はさらにその下で、しかも頭が下です。身動きが取れません。幸いただの側溝なので、水は浅くて流れもないので死ぬことはありませんでした。しかしイトミミズがうようよいました。
「助けてくれ」
と私は叫びました。私の耳には「はすへふぇ振れ」と聞こえました。私は泣いていました。反射的に「恥ずかしい」と思いました。私は泣き虫で、泣くといつも父親に怒られていたのです。父親は泣きませんでした。母親はたまに泣きました。車の後ろの席で泣きました。私はそのとき助手席に座っていたので、母の泣き顔を見そびれました。私のチャイルドシートは助手席に取り付けられていました。

私が家を出たとき、通りには人はいませんでした。午前中に雨が降っていたからです。あるいは、私が家を出たのが昼下がりだったので、まだみんなはご飯を食べたばかりで、「女の60分」でも見ながら体を休めているのかもしれません。私は辛抱強く待つことにしました。私の体、あるいは自転車は通りから見えるのでしょうか。しかし見えなかったとしても、新しい轍が道の端で消えているのを見れば、そこで子供が落ちたことに気がつくはずです。私はまた、継続的に泣き声もあげていましたから、近くまでくれば気づくはずです

何よりもう少ししたら、母がやってくるはずです。母は責任感の強い女です。私に「わたしは責任感が強い性格だから、あなたも責任感の強い子に育つに違いない」とよく声をかけていました。母は私が家を出るときに、妹がスパゲティを食べるのを手伝っていましたが、そのうち私がいないことに気づくはずです。

やがてどのくらいの時間が経ったのかわかりませんが、
「まあ」
という軽い悲鳴が聞こえ、私は引き上げられました。最初に「宇宙刑事ギャバン」が上げられました。ギャバンは物なので、少し雑に扱われました。私は人なので
「大丈夫?」
などと声をかけられながら、ゆっくりと引き上げられました。背中の服をつかまれ、それから胸に手を差し入れられ、抱きかかえられるように持ち上げられました。私はまだまだ幼かったので、大人からしたら軽かったのです。

私は予想よりも時間がかかった母に抗議の意味もこめて、泣き声の音量を一段と高くしてやろうかと思いましたが、目の前にいたのは、まったく見たことのない、中年の女でした。女の膝小僧は、黒い泥で汚れていました。


※小説「余生」第32話を公開しました。
余生(32) - 余生