意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

手紙

少し前に学校からお手紙がやってきて、私はソファの上で読んだ。そのとき私はパジャマ姿で夏用のハーフパンツ姿だったので、ふくらはぎにソファがあたった。ソファは夏なのでやはりぬるかった。

私はそもそもお手紙というものが苦手で、苦手、というのは書くのが苦手という意味で、上記のは「道徳の時間に子供に渡すので、感謝の手紙(例、病気の時に家事を手伝ってくれてありがとう)を書いて封をして子供に持たせてください、内緒にしてください」というものだった。突然感謝と言われて困ってしまうのは私で、私は子供に対する感謝なんて「生まれてきてくれてありがとう」か、せいぜい「健康でいてくれてありがたい」くらいしかないのである。けれど、指示のニュアンスとしては、そういう抽象的、本質的なのじゃなくて、お手伝いしてくれてありがとう、てきな即物的な内容で、なんとなく「もっと積極的にお手伝いしよう」という児童に対する要求が見え隠れする。私は「学校で言われたから」とか、「お礼を言われたいから」みたいな理由で自分の労働力を提供しますと提案されても、嬉しくもなんともないのでお礼も言えない。そういえば私が子供の頃は「お駄賃」が一切禁止で、何かを手伝ったからといって、金銭その他を支払われたことはない。アイスとかはあったかもしれない。でもあくまで労働は労働、アイスはアイス、て感じでもし手伝わなかったとしてもアイスはもらえただろう。お金もお小遣いとしてもらえた。私のお小遣いは、三年のときの週に100円から始まり、それから間もなく月に600円になった。週150円×4である。だから、日曜が5回ある月は750円であった。今思うと妙に律儀な感じがするが、おそらくそれは私が提案したことだ。600円というと、当時はミニ四駆が流行っていて、ミニ四駆はひとつ600円だったから、絶妙だった。そのころはモーター別売りとかなかったので、それだけで、もう走り出すことができた。駅のそばの模型屋は、色黒の愛想のないおっさんが経営していて、店の前にはミニ四駆のコースが置いてあって、常時ミニレース大会が開催されていた。私はあまり改造とかには興味はなく、そこで走らせたこともなかった。模型屋は大通りに面していて、ある日大会に間に合いそうにない小学三年生が、愛車を手に道路を横切ったら、これもまた誰かの愛車であるはずの、実物自動車にはねられてしまった。私の学校の生徒ではないから、どういう具合だったのかは知らないが、これは本当の話だ。私の学校の人は一方、ビックリマンチョコをスーパーの店先で開けたら、キラが出て、興奮のあまり小躍りして道路にはみ出たら車に轢かれた。ビックリマンチョコは当時ひとつ30円である。死にはしなかったが、入院して退院したら全校生徒の前で、反省作文を読まされた。「反省作文」なんて意図はなかったのだろうが、私には罰ゲームにしか見えなかった。

一方模型屋のほうは助かったか知らないが、おそらく助かったのだ。それから数年して模型屋が主人は、ヤクザに頼まれてモデルガンを本物の銃に改造して警察に捕まった、という噂が流れた。私はそのときはもう中学生だった。しかしそれは嘘だと思う。しかしヤクザというのはその近辺にいるらしく、それからまた数年して、明け方に男が射殺されるという事件があった。ニュースで「ヤクザ」とは言ってなかったが、本物の銃を扱うのなんて、ヤクザくらいしか思いつかない。その近所には小さな映画館があって、私が中学生のころ、友達が「織田裕二の「卒業旅行」が見たい」というから一緒に行ったら小さな映画館だから銀幕はひとつしかなく、そのひとつもスティーブン・セーガルの沈黙シリーズのどれかだったから、おとなしくそれで我慢した。悪役がトミー・リー・ジョーンズで、それから10年以上たってその人がお茶の間のお馴染みになるとは、当時は思いも寄らなかった。


※小説「余生」第35話を公開しました。
余生(35) - 意味を喪う