意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

教科書通りのブログ

今朝、Twitterで流れてきたブログを寝起きに読んだら、それが教科書通りに書かれた底の浅い文章で辟易した。「ミスター辟易」と名付けたいような、「辟易」という単語を縫い付けて、語句の背負った宿命を押しつけてしまいたくなるようなブログだった。教科書通り、と言っても私はそのたぐいの本は読んだことがないから、まるでヤマカンなのだが。あと、教科書通り、て書くと「明治通り」「靖国通り」「いつもニコニコあいさつ通り」みたいで愉快だ。

私の考える教科書通りの定義

1、弱腰な煽り(タイトルで「まだ○○なの?」風にあおりつつ、本文ではいい人)

2、誰が聞いても「便利だね」と言いそうなお得な内容(ゆえにちょっと調べれば誰にでもわかりそうな、無難な「お得」)

3、自分を卑下する(こんな自分でも、みたいな。いわゆる謙譲語の発展形だろうか。少しへりくだれば、読んだ人がいい気になる、という計算が見え隠れする。ちなみに私は稀に「堂々としている」みたいなコメントをもらうが、それはネガティヴなことを書くと、「そんなことないですよ」とか「じゅうぶん面白いですよ」とか、言われそうででもそういうのって、社交辞令的な言葉のエール交換みたいな雰囲気があるので、嫌なのである。私は仕事などでは、けっこうおべっかを使うので、そういうのを持ち込みたくない、て感じなのである。気を抜くとついつい他人の書いたものでも「面白いですね」とコメントしてしまうが、「面白いですね」という言葉自体はちっとも面白くない。しかしおべっかでもたまには誉められたい、という欲望もあり、だから実際は私がネガティヴな発言をしても、誰も言ってこないのだが、それはそれで傷つくので結局堂々とせざるをえない。「せざるをえない」が良い。思い込みでもいいから、「せざるをえない」ことを増やしていくと、いい感じに思考がストップする)

あとこれは、特徴とはまた別だけどあまり語尾に「笑」「w」をつけると、「へらへらしてんじゃねーよ」と言いたくなるのでやめてほしい。

特徴というほどのものを並べられなかったから、単に朝からつまらないブログを読んだ、というだけの話なのかもしれないが、おそらくその人は文章を書くことに向いていないが、お金儲けという餌を目の前にぶら下げて一生懸命文字を綴っているのだろう。「文字を綴る」という意識すらないのだろう。

教科書通りに書いたとしても、面白い人は面白いので、もう面倒なのでそういうのは全部センス、ということにしてしまいたい。語尾全部に「笑」をつけても、それ以上に笑っちゃう馬鹿丸出しのブログもある。センスのない人は無理に書かない方が良い。