意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

東野圭吾

朝6時に起きてご飯を食べようとしたら、まだ炊けていなくて画面を見ると、予約は6時50分になっている。土曜だから、炊飯器にも少し楽をさせてやろうという魂胆か。平日は6時過ぎには炊けている。こういうのを、アニミズム、といのだろうか。人間の私は今日も仕事である。

仕方がないので、ソファに寝転んで本を読んだ。いくらも読まないうちに眠くなったので、目をつぶった。どうして本を読んでいると眠くなるのか。私は、本当に、すぐに眠くなる。文字を行ったりきたりするのが疲れるのか、脳に結構な負担がかかっているからなのか。確かにものを考えるとき、脳がイヤがっているような素振りを見せることがある。

もっと娯楽性の高いものを読むべきか。西加奈子なんてどうだろう。二魚子と、間違って打ちそうになってしまった。私は最近この名前を頻繁に目にするが、読んだことはない。勝手に娯楽小説と決めつけてしまっている。ブログで、本当によく目にする。代わりに、東野圭吾を見なくなった。3、4年前はTwitterでよく目にして、勧められもしたので、何冊か買って読んだ。会社で読んでいたら会社の人にも一冊もらった。東野圭吾は、社会人のたしなみだったのだろうか。そういえば、その前に勤めていた会社でも、東野圭吾のハードカバーの本ばかりを集めて机に平積みにし、バリケードのようにしている女子がいた。私はその女子の隣の席だったので、圧迫感を感じた。あれは、何かのシンボルかそれともメッセージ性でもあったのか。その頃私はまだ一冊も読んでいなかったから、何も感じることができなかった。単に
「アタシのデスクにあんたの電話のコードがはみ出てんですけど」
という抗議だったのかもしれない。それならそう言えよ。その会社の電話というのがかなり独特のつくりで、内線をかけるときに、早くもない遅くもない、一定のリズムで強く番号を押さないとつながらない、というのがあってうんざりした。

一方東野圭吾とは逆側の席もやはり女子で、その人は本を読まなそうだったが、人よりも犬が好きといった類の人で、あるとき私が
「できましたー。確認お願いします」
と声をかけると、少ししてから、
「確認しました」とメールがきたので、私はぎょっとした。かなりの潔癖性の人らしく、朝晩に必ずデスクに洗剤を吹きかけ、雑巾で表面をぴかぴかにしていた。私はほどなくその会社をやめたが、最後にお菓子を配ってまわったときも、
「食べないんで」
と拒否をされた。食べかすで机が汚れるからだろうか。私は机がきれいな人とはそりが合わないようだ。

ご飯が炊けた。