意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

許可をいただいたので書く。

三森さんはタンブラーというブログサービスが黒っぽいと言っているが、その前にアメブロが青ではてなが黄色などと言っていた。私は青や黄色では特になにもなかったが、黒、ときいて不意に中学のときに書いた卒業文について思い出した。私はそこの内容に、私の三年間を色に例えると黒である、と書いたら担任にボツをくらったのである。担任とは眼鏡をかけた女教師であった。女教師はまだ20代だった。私は黒というのを、さまざまな思い出を重ねるとそれ以上の色にはなり得ないという意味合いで使った。しかし、担任は黒という色から抱くイメージが悪いから、私に書き直しを命じたのである。私はこれは言論弾圧だと思い、もう湿っぽいことを書く気にもなれず、タイトルも「三度目の卒業文」として、内容も「黒って書いたら書き直しを命じられちったから、これを書いてます」みたいなことを書いたら、今度はボツにならずにそのまま掲載された。だから、よくよく考えると黒がいけないわけではなかったのかもしれない。ちなみにタイトルに「三度目」とつけた理由だが、実は最初に普通に書いたのだが、それを提出したら
「じゃあ清書しましょう」
と返され、なんで同じ文章をいちから書かなきゃならんの、と馬鹿馬鹿しくなり、全然ちがうことを書いたら今度はダメだった。私は一体どういう思考回路をしているのか。同じ人間が書くのだから頭からちがうことを書いたって内容に大差はない、という思考回路である。とにかく私が卒業文というものに望むのは、10年、20年後にだれかに声に出して読まれても恥ずかしくない内容というもので、この中学の卒業文はもちろん、小学のだって恥ずかしくない。しかしもうどんなことを書いたか忘れたから、恥ずかしいかもしれない。先日昔の友達に会って、そのとき押し入れにしまった自分の漫画を持って行ったのだが、なんか読むのが恥ずかしかったので。

ということを思い出した。だから、三森さんがタンブラーが黒というのは「ふくらんでいる」というブログでみんなそれぞれの思想を書き連ねているから、もはやそこに色などない、という意味であるのかもしれないが、違うかもしれない。

おわり。