意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

映画やドラマが苦手な理由

昔、オウム真理教の村井幹部が教団ビルへ戻るとちゅうに刺されて死んでしまうという映像が、テレビで流れたことがあったが、それを私は家族と見ていた。生で見たのかもしれない。村井幹部の周りにはマスコミがうじゃうじゃいて、犯人はマスコミの人の風を装って村井に近づいたのである。村井幹部は一瞬
「いてっ」
という顔をして倒れかかるが、立ち上がって再びビルに向かって歩き出した。だからそのときは、何があったのかよくわからなかったが、あったとしても大したことないのだろう、と思っていたらビルに入ったとたんに倒れ、そのまま絶命した。殺人に使われた包丁だかナイフは、刃のぶぶんが大きくひん曲がったらしい。あるいは、村井事件を見た父が、人の体とは思った以上に硬く、包丁なんかで刺そうとしても曲がってしまう、と教えてくれただけで、村井を刺した包丁は曲がらなかったのかもしれない。

それとは別に、昔少年が遊ぶ金欲しさに自分の祖母を殴り殺すという事件があり、たしか祖母は駄菓子屋を経営していた。駄菓子屋の奥の畳の上で、少年は白髪の祖母をめった打ちにするのである。たくさんの血が流れた。そして分厚いニスの塗られたタンスから現金を持ち出し少年は去るのだが、その後しばらく老婆は生きていたらしい、というのもあるとき父から聞いた。私は父から話を聞いてばかりだ。
「もちろん瀕死には変わらんよ?」
生きている、ときいてぴんぴんの元気いっぱいで、朝の健康観察でも
「はい! 元気です!」
と答えるようなのをイメージしていた私に、父は釘をさした。私はまだ子供で、例えば季節と言えば暑いと寒いとその中間、しかないような人生を生きていた。

だからそれ以来、サスペンス劇場とか見ていると、例えば大きな花瓶ではずみで撲殺するとか、女の人が果物ナイフで抱きつくみたいに刺殺するとか、そういうシーンが出てきても、
「そんなんじゃ死なねーけどね」
と、妙に冷めた目線で見るようになり、感情移入できなくなった。あと、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだときに、主人公が警察の取り調べを受けるシーンがあって、そこで警察はまずは事件の日の彼の様子を調書にとり、一通り取り終わると、間違いないか確認させ、間違いがなければ自分で書かなければいけないから、と上からボールペンでなぞらせ、とにかく刑事の字が汚くて汚くてツラいのである。それで、何か思い出すかもしれないと、またその日1日にのことを最初からやり直す。同じことの繰り返し。主人公はすっかり参ってしまって、主人公自身は犯人ではないものの、被害者とは知り合いであるが、写真を見せられても
「知らない」
と嘘をついているから、参ってしまった。その後なんとか助け船がやってきて釈放され、下巻の最後の方になってオモチャ屋でその刑事にばったり会うと、その刑事は
「あんたが殺したんじゃないことは、最初からわかっていたよ、ただあんたは何かを隠していた、だから執拗に取り調べたんだよ」
みたいなことを言う。それを読んで、実際の取り調べって常に「てめえこの野郎」みたいなのじゃないし、逆に容疑者のほうだって、取り調べ室で冷静に「証拠はあるんですか?」なんて言えないよな、と思った。

もちろんだからドラマはもっとリアルに作れ、と言いたいわけではなく、リアルに作ったら生々しくて、とてもご飯を食べながらとか、家族団らんをしながら見られたもんじゃない。こういうのなんて言うんでしたっけ? お約束? 了解事項、要するに私はその手のフィクションが受け入れられない私ってなんなんだろうって話です。受け入れられるのは、もっとおちゃらけていた感じのコメディが良い。カンフーハッスルとか、涙を流しながら笑った。

一方私の父親はというと、「相棒」とか「科捜研の女」とか好きなので、私がこうなったのは父親の影響ともいえない。


※小説「余生」第60話を公開しました。
余生(60) - 余生