意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

成功体験はワンパターン

アンナ・カレーニナの小説の冒頭で「すべての幸福な家庭は似たようなものだが、それぞれの不幸な家庭は、それぞれの姿で不幸なのである」というのがあって、同じようにブログでも誰かの成功体験をつづったものはワンパターンであることに、最近気付いた。おそらく、成功者じたいの人生にはそれぞれの山場なりがあるのだろうが、そのエッセンスを抽出すると驚くほど似通ってくる。別に驚きはしないが言葉のあや、文の勢いでそう書いた。「まあそうだろうな」という感じである。結論ありきで書けばそうなるのは仕方がない。ワンパターン、というのは、例えばなんとか社長の「なんとか」の部分を「孫社長」「本田選手」などに置き換えても、違和感なく読めてしまう。「孫社長社長」は違和感あるが。

だからその手のブログの愛読者や、書いている人というのは書かれたものを楽しむというよりも、それによって自分を洗脳しているのではないか。反復は洗脳の良手段である。「たゆまぬ努力」「無限の可能性」を信じて疑わないためには、この手のものを読み続けなければならないのである。皮肉っぽく書いているが、私も私を毎日洗脳していることには変わりない。

一方ホリエモンが成功者かどうかはわからないが、彼の言葉はたまにネット上をにぎわすが、思考を呼び起こす良い言葉だと、私は思う。何日か前に「障害者は働かせるな」という旨の発言をしていて、やはりそれは賛否両論なのだが、同意するにしても、否定するにしても、ある程度自分で考えないと、言葉にまとめることができない。ホリエモンはたいてい「正論」を言っていて、だからそれを否定しようとすると必然的に体制側に立つようになってしまい、普段「今の世の中はおかしい」みたいなスタンスのくせに、どうしてやつらの肩入れをしてしまうんだ!? という簡素な自我崩壊に陥ってしまう。崩壊を防ぐためには第三のエリアに、行かなければならない。そこへ行くためには、自分のオリジナルの言葉なり論理なりを駆使しなければならないから、結局ホリエモンの言葉は疲れるから、たいていの人は無視して行ってしまう。生きていくことのほうが大切だから。


※小説「余生」先週分(第56話から60話)をまとめました。
余生(56) - (60) - 意味を喪う