意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子供は子供を装っている

大人になって人の親になって、夏休みとかが残り少なくなって子供に対し
「ざまあみろ」
と思うかと思ったらそうでもなかった。むしろ残念である。私は子供が学校が始まればまた6時に起きて目覚ましのアラームを止め、子供にパンを焼いてあげたりしなきないけないので、休み中は実質私も休みなのと同じなのであった。パンはマーガリンを塗って焼くのか、焼いてから塗るのか、毎回訊ねなければならない。パンがなければご飯で、ご飯に何をかけるのかも毎度お伺いを立てる。韓国海苔が好評だ。上の子には時間があれば鶏の唐揚げをチンする。時間があれば、というのは私ではなく彼女の方だ。朝練に行くが、ぎりちょんまで寝ているのである。昨日の犬猫のしつけの話にも通じてしまったが、私は
「自分の朝食くらい自分で用意しなさい」
とは言わない。そのうちに自分でやった方が効率良いことに気づき、自分でやるようになるだろう。下の子が小学校に上がったときに最初の一年は、私は班の集合場所までくっついて行き、ボランティアの老人やゴミ出しの老人に挨拶などもしていたが、二年目になると、
「もうついてくるな」
と言われた。そうするともう頼み込んでもひっくり返らない。庭先に出るのすら許されない。なんかこう書くと私が老人たちとおしゃべりばかりして、それに次女が嫉妬して自宅待機を命じられたみたいだが、私は特別年寄りが好きなわけではない。お付き合いの挨拶程度である。子供も自分なりに世間とのバランスを考えている、という話である。

例えば今この時点(今は時計は7時33分)でシキミがいきなり
「ちょっとパンを買ってきて、甘いやつ限定」
と言われれば私はむっとするが、おそらく買いに行く。もう少し遅くて会社に遅刻しそうなら謝って勘弁してもらうが、物理的に可能なら行くと思う。そうやって黙って買ってくると、もう次からは頼まなくなるのである。これで例えばこちらが「なんでだよ」とか言って喧嘩の末に嫌々買ってきたりすると、子供も負担をかけたので、割り勘で買ったような感覚になり、次も頼まれるのである。

話は変わるが私は自分の子供時代のことをけっこう覚えていて、私は物心ついたころから小児喘息を患っていて、小児喘息というのは時たま発作というのが起こって発作は軽い呼吸困難を起こす。肩で息をするようになり、呼吸の度に「ひゅーひゅー」と音がする。そのため、幼い私は発作のことをひゅーひゅーと呼んだ。

発作が起こると、それは夜中でも昼でも関係なく起きたが、専用の吸入機に薬を入れて機械のスイッチを入れて霧状にして吸い込むのだが、薬はガラスのアンプルに入っていて、両端の爪を折らないと中身が出てこない。穴は片方は空気穴である。ガラスは切り込みが入っていて普通はまっすぐ割れるが、力の具合で切り込み以外で割れてぎざぎざしたりする。そういうのに触れると危ないから薬をセッティングするのは母親の仕事であった。危ない危なくない以前に私はまだ幼かったから、仕事を免除されていたという理由もある。それで、さきほど発作は昼夜問わず起こると書いたが、夜に起きると私は苦しくて寝ているどころではなくなるが、母は健康なのでぐっすり寝ている。それを起こすのは「悪いな」と思い、暗闇の中で私は気が引けたのである。父は仕事であまり家にいなかったし、いても怖いから頼まなかった。

結局私が何を言いたいのかと言えば、何も言いたくないのだが、子供は自分を子供だとは思っておらず、むしろ大人を安心させるために子供を装っている。だからあれこれしなさいとか、あるいはするな、とかわざわざ言わなくても、案外わかっているのである。子供が理解していることをわざわざ咎めると、子供の方は「なるほど、これはまだ理解しなくても良い年頃なんだ」と思い、かえって理解しようとしなくなってしまう。

だけれども、こうして私は子供の肩ばかり持ってしまったが、バランスをとるために大人の肩入れもするが、何も我慢するのは大人ばかりではなく、大人もたまには爆発した方がいい。つまり感情がおさえきれなくなったら、感情任せに怒鳴り散らしてもいいと思う。つまり叱る必要はないが、怒るのは全然OKというスタイルである。私がなんでそう考えるのかというと、私の親は私に矛盾したことはほとんど言わなかったが、その分感情に流されることはなく、それは親として完璧なのかもしれないが、そうすると感情をコントロールできない自分が欠陥品に思えてくる。だから、私が子供に教えたいことというのは、ただひとつで、人というのはだいたい愚かで、少なくとも自分は愚かですということで、だからたまには私も馬鹿みたいなことをする。


※小説「余生」第64話を公開しました。
余生(64) - 意味を喪う