意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

クリーニング/スピーカー

朝から掃除を行い、あと夏から鴨居に下げっぱなしのスーツとワイシャツとネクタイをいい加減クリーニングに出そうと思い、ついでに春から下げっぱなしのコートも出してしまうことにした。出そう出そうと思っていた。さらにもっと分厚いコートと、ジャケットもあったがあまり気に入っていないしもう何年も着ているものだから、クリーニングするよりも捨てちまったほうがいいんじゃないかと思い保留にした。しかしきれいになればすっきりするから、捨てるにしても一度クリーニングに出してもいいかなーと思っていた。雨の日に着るという手段もある。そうしたら妻が「スーツだけで4000円超えちゃうかもよ」というから私はひるんだ。怯んでしまうと、もうクリーニング屋に近づくことすら嫌になってしまうが、勇気を出してスーツとコートを試しに出してみることにした。今まで妻にそういうのを任せていたが、妻がいつまでも出してくれないので私がやることにしたのである。子供のころは母に任せていて、そのときはクリーニング屋は家にくるタイプで、クリーニング屋はクリーニング屋っぽい痩せてこぎれいな中年の男で、ポマードとか付けている。ポマードは完全なイメージだが、そえいえばポマードって口裂け女が苦手な臭いで、遭遇したときに
「ポマード」
というだけで、恐れをなして逃げていくという。口裂け女は噂の類かと思ったら、一部の学校では口裂け女に遭遇したときに、なんとか全員が餌食にならないように、集団下校を推奨したらしい。学校が、「口裂け女に遭遇したときのために」と断ったらしい。そういうのを雑誌かなにかで読んで、私は
「マジかよ」
とびびった。しかし、私の住んでいる埼玉県では昔連続幼女誘拐事件があって、私が小学校一年のときにはまだ犯人も捕まっていなくて、駐在所の掲示板に「この子を知りませんか?」と失踪当時の服装とか身体的特徴を示したポスターを貼り、私は上級生とそれを眺めた。それは夏休みのプール教室のときのことで、私は普段は違う人たちの班で学校に登校していたが、そのときは学年の組み合わせのせいなのか、いつもとは違うひとたちと学校へ向かっていて男ばかりだった。普段は女ばかりだ。女の人たちはちょっと悪い人たちで、たまに土曜日に一斉下校があると、かならず途中の運動グラウンドの野球のベンチで休み、そこで水を飲んだりして帰った。他の生徒はもう誰もいなくて、土曜の昼下がりはとても静かだった。あと、人の家の畑でミョウガを掘ったこともある。ミョウガは日当たりの悪い場所に生えている。

女ばかりの影響なのか私は男だったが髪は比較的長く、床屋でも短くすることを拒んだ。私はスポーツが苦手なので「スポーツ刈」はまっぴらだった。「坊ちゃん刈」はもっとダメだ。だから私はかろうじて耳がでるくらいの髪型で、普段はもっと髪の長い人ばかりだったが、夏は坊主頭が増えた。私は半ズボンも嫌いだったが、さすがに汗をかくからと、許してもらえなかった。私は汗をかかずにすればどうすればいいのかと、あるとき友人に訊ねると、
「水を飲まなければいい。汗というのは体内の水分以上には出てこないのだから」
と教えてくれた。母にそれを話すと母は得意げに、
「それでは日射病になってしまうよ」
と教えてくれた。その頃は熱中症という言い方はしなかった。教えてくれた友達は帰りの班が同じ人で、当時は小学一年のときは同じ班で帰らなければならなかったから、周りも一年だった。二年になると好きな人と帰ってもよく、しかし一人か二人では駄目で、下校時刻の放送も、「車などに気をつけて、三人以上で帰りましょう」と言う。なぜ三人なのかと言えば、誘拐犯の手が二本だからで、三人いれば、一人が逃げられる理屈だ。犯人が非力ならば、二人の可能性もある。とにかく、小学生の背負うランドセルという物は、とっかかりが多くで掴みやすく、誘拐犯からすれば格好の餌食なのである。そうして、なんとか犯人の手から逃れられたひとり、あるいは二人は、どこか民家に逃げ込んで助けを求めるように、と私たちは教師に指導された。

連続幼女誘拐事件が解決する前後から、夕方になると、公民館のスピーカーからもう遅いから速やかに帰るようにという旨の放送が流れた。その時刻は季節によって変わり、夏は五時半、冬は四時半、春と秋は五時だった。夏の五時半はまだまだ明るかったから、私たちの全盛期は、誰もそんなのは守らなかった。暗くなる前に帰れば親にはなにも言われなかった。同級生の親にひとり警察官がいて、その人にはあるときものすごい声で怒鳴られた。先生のような怒鳴り方だったから、その場にいた人たちはみんな震え上がった。その同級生はとても声が小さい人だったから、また、意外でもあった。その人の食卓は、きっと父親がしゃべってばかりなのだろう。それから数年して、偶然その人に会ったときには、いくらか大きな声でもしゃべるようになっていて、また語彙も増えていたから、それなりに冗談をかわすようになった。その人は軽自動車に乗っていて、トランクには自前の金属バットを積んでいた。私たちがばったり会ったのはバッティングセンターだった。私はまだ免許も持っていなくて、バッティングセンターもまだ一度か二度しか来たことがないので、80キロの球速のボックスに私が入ったら馬鹿にされた。その人は140キロのところに入って
「なんとか(選手名)の打ち方ー!!」
とか叫びながらバットを振っていたから、楽しそうであった。その人は広島東洋カープファンであったから、広島の選手なんだろう。そのうちに私はホームランを打ち、店のスピーカーから
「おめでとうございまーす」
とか聞こえてきたが、恥ずかしいから景品はもらいに行かなかった。まずは運転免許から取得すべきだった。