意味をあたえる

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電車がとまった/風立ちぬ

昨日は仕事で都内へ行き、とても都内とは思えないほど低い建物のあいだを歩いたが、電柱を見ると確かに23区内だった。とても背の低いガード下をくぐった。注意を促す表示には「1.7メートル」とあった。私の背はジャスト170センチだと認識していたが、逆立てた髪すら天井にはあたらなかった。昼だったから私の背が少し縮んだのか。そうして一日が過ぎて帰るために電車に乗ったら二度も止まって3時間くらい座りっぱなしだった。私はケータイも持っていたし、エイモス・チュツオーラの「薬草まじない」も鞄に忍ばせていたから、とくに苛立つことなく動き出すのを待つことがてきた。隣のホームに動く電車がやってきて、車内放送で
「向かいのホームはすぐに出ます」
と言うから、私と同乗していた人は次々に大あわてで出て行った。そういう電車が何本かやってきて、電車はがらがらになったので、私は足を投げ出したり組んだりすることができた。私が座り続けたのは、振替の車両に乗ってもかえれなかったからである。逆にときたま乗り込んでくる人もいて、結婚式帰りだとか、飲み会だとか、若いのも年寄りもいた。小学生もいた。私の従兄弟に似ているのもいた。従兄弟には何年も会っていない。私はこのような状況をブログに書きつけてやろうと思ったが、ケータイがバッテリーを消費していたから諦めて本を読んだ。100ページくらい読めた。あと少しエロいことを書き加えると、胸の大きい女がホームを横切った。私はその胸の大きさは、服によって強調されたものなのか、しばらく考え込んだ。昔友達に胸の大きな女性を書くのがいて、私はその絵を見て、
「服というのは柔らかい布で、それは乳頭からベルトまで一直線で結ばれるものだから、君の絵のように、乳房の下の部分がきゅっと締まったらリアリティがない。そもそも、そんな服着づらいのではないか」
と批判したことがある。しかし今の女性は、彼がかつて書いた乳房の下にゴムがあって、乳房の大きさが強調される仕組みになっているのではないか? と思ったが、すでに彼女は見えないところに行ってしまった。次にそれほど胸の大きくない女性が私の隣に座ったので私は彼女に触れないよう注意し、やがて電車は動き出し、少しすると一気に車内は満杯になり、老年の声の大きい酔っ払いの男集団が前にやってくると、彼女は定期的に鼻と口をふさぐようになった。欠伸をかみ殺しているようにも見えたが、こんなに足止めをくらった状況で、他人の欠伸を咎める人がいるとは思えないので、違う理由なのだろう。彼女にもしもう一本手があれば、耳もふさいでいただろう。


2

迎えの車に乗ると、シキミが私宛てに届いた荷物を私に渡してくれ、それは宮崎駿の「風立ちぬ」の原作本だった。私は家に帰って読み出したが、眠くなったので寝た。そして午前中に最後まで読んだ。そして
宮崎駿は映画より漫画のほうが面白いな)
と思った。私は宮崎駿の文字がぎっちり詰まったコマを眺めるのが楽しいのである。あと必ず冒頭に「資料的価値はない」と書いてあって、あと定期的に書くペースが遅いことを自嘲するコマがあって、必ず一度は「宮崎オソオ」と自己紹介する回があり、そういうのが楽しい。しかし同時に私の中で宮崎駿は、「過ぎた人」になってしまっていた。墜落した試作機がばらばらになっている場面があったが、私はそれを見て「天空の城ラピュタ」の空から落ちてばらばらになった巨神兵を連想した。それが寂しい。その感覚は映画「風立ちぬ」を見たときにもあって、
「あーここはポニョだな」とか
「城だな」
とか感じる場面があって、それを私は後退と捉えた。そういうのはポジティブに捉えればその人らしさとか、象徴的とか言うのだろうが、私は最初から寂しさしか感じなかったので、後退と捉えた。おそらく余力だとか、それまで蓄えられたら力で作られた映画なのではないか。

それではピークはどこだったかと言えば、私は間違いなく「崖の上のポニョ」だったと思う。もしかしたら少しは過ぎていたかもしれない。しかしあの力の抜け具合がすごい。線がすごい。主人公と母親が住んでいる家が登場するが、どうしてあんなにくにゃくにゃした線の家に人が住めるのか、また建て付けが悪くなったりしないのか、心配で仕方がないのだが、あの2人は平然と暮らしているし、家鳴りもしない。あとラストも「キテレツ大百科」みたいで愉快だ。それと、この記事を書こうとして思い出したが、海面が上昇して主人公の女の子が船で出かけたときに、若い夫婦と乳児に遭遇するが、そのお母さんが、なんかおかしい。おかしい、とは変のほうである。サンドイッチを無理やり食べさせようとするポニョに対し、
「赤ちゃんは私のおっぱいしか飲まないから、このサンドイッチは私がもらうわね」
と、子供から食糧を巻き上げてしまうのである。どう見ても違和感しかない。