意味をあたえる

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石原さとみと責任論

時間帯とかはわからないが、家に帰ったら家族が石原さとみのドラマを録画したやつを見ていたので私も見た。ご飯どきだったので見ざるを得なかったのである。そうしたら石原さとみは英会話スクールの講師をやっていて、そこら中で男女がキスしたりいちゃついたり恋愛の酸い甘いが展開され無法地帯という感じだった。

そうしたら石原さとみがあるときへまをやらかして、それは石原さとみの誕生日で上司になにか特別な食事会みたいなのに招待され、靴も新調したが客(生徒)が石原の誤訳のせいで恥をかかされたので謝罪に行かなければならず、誕生日がパァになった。なぜなら山奥まで謝りに行かなければならなかったからだ。買ったばかりの靴も踵が折れた。それで最初学校の方で
「まずいことになった......」
という雰囲気のときに石原が、
「私、謝りに行って来ます」
と腰を浮かすと(あるいは最初から立っていた)ソファに座り深刻そうな顔をした若い上司が、
「いや、俺が行く」
と名乗りを上げる。すぐに石原が
「なんとかさんは残ってください。今日は大事な食事会もあるんですから」
と言い、上司はすぐに「むむむ」という感じで引っ込み、私は上司に
「ていうかどう見ても最初から「残れ」と言われるの見越して名乗りでてんじゃねーか。そういうのを管理職の義務みたいに捉えられても困る。これで石原が「お願いします」とか言ったら一気に不機嫌になるパターン」
と突っ込みを入れた(心の声で)。

ところで、石原さとみが向かったのは山奥であり、バスに乗って山道を登ったあと、掘っ建て小屋みたいなバス停を降りて、さらにそこから徒歩で何分も歩く、という描写が延々と流れたから山奥なのだろう。私はこういうのを見せられると、交通費は一体誰が持ったのか気になって仕方なくなる。あと、この謝罪は石原の一日の働きをフイにしてまでやる意味があるのだろうか。客には怒らせたまま退会してもらったほうが、会社にとっては(あるいは客にとっても)得なのではないだろうか。そんな邪険にはできないかなりの上得意なら、やはり石原ではなく上司が行くべきだ。

あるいは石原は会社とは専属外注という雇用形態であり、日給月給であり、あくまで謝罪行為は個人としてのもので、そのため給料も経費も一切発生しない、ということなのかもしれない。そういうことは実際にもよくあるのだろうが、そんなブラック企業的なことを、テレビで堂々と流していいのだろうか。実社会で若い人が、
「さとみちゃんだって山奥まで謝りに行ってるんだから、先方にはひとりで行ってこい」
とか、悪用されてしまわないか、心配になる。

へまをやらかした方は、できるだけ早くその行為を帳消しにしたいから、苦難が伴う行動ほどやりたがる。だから石原としてはバス停で雨に打たれながらしょんぼりしながらも、実は心中では大満足なのである。しかし、そういう状態の時は頭に血が上っているから、冷静な判断は難しい。少し前に後輩が大きなミスをし、とある商材を離れた営業所まで取りに行かなければならなくなったとき、後輩はやはり自分が行くと名乗り出た。しかし、その離れたところの近くに住んでいる人が現にいるから、その人に行ってもらうのが誰から見ても合理的なので、結局後輩は行けなかった。それが正しいのかはわからない。早めに自分の中で浄化されれば、そのほうがいいのかもしれない。

それからつい先日また似たようなことを、今度は先輩がやらかして、しかし今度は当然のように自分が行ったので、私は
「なんだかなー」
と思った。私はその日は休みだったので、もしいたら、違う人に行かせるべきとか意見し、ケンカになったかもしれない。私はその人が嫌いだからだ。