意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

私のブログは語彙が多いように感じたがそれでいいのだろうか

最近当ブログにおいて、
「今日は何を書くべきか」
と書く前に一呼吸置く日が続いている。私は書く前に考えることにはあまり価値を置かず、書きながら考えるを良しとするスタイルなので、書く前にどうこう思い悩むのはナンセンスなのであるが、極端な話、最初の一行だけは前もって考えなければ走り出すことができない。何が極端なのかというと、それは「一行」のところで、別に厳格に一行だけ頭の中で決めて書く、という意味ではなく、最初の方はイメージしますよ、という意味合いで、「最初のほう」を「一行」と置き換える私に対し、私は思慮の浅さを感じた。

ところで、私は昨日の記事を書きながら、途中でタイトルのことを忘れ、書き終えて見たら
「そういえば、○○についての話を書こうと思ってたんだっけ」
と意外なかんじを受け、そのことをすっかり忘れた私に満足した。むしろブログにはタイトルが付くということすら忘れていた。こんなにキレイに忘れて、目の前の単語だけに没頭できるのは珍しかった。しかしその満足感を表明する場所が私には用意されていなかったので、そうしたらいいタイミングでズイショさんのブログが更新されていたので、そこのコメントに途中でタイトルを忘れた旨を書いた。もちろん私はふざけて書いたのだが、ズイショさんの記事を読み、私のコメントもそこまで的外れではない、読む人が読めば、これは弓岡なりの解釈であるととってくれる、という判断があったから、実際に書けた。もちろん、「ふくらんでいる」でたくさん書いているから、勘弁してくれるだろうという下心もある。

あと昨日の記事については、私の好きなドラマーの話ばかりで、読者が退屈することが書きながら気がかりであったが、そういう弱気を振り切りながら書いた。ジェフだのスティーブだの、ファーストネームを並べていくと、だんだんとビバリーヒルズ青春白書っぽくなってきて、そういうのが私の弱気の現れなのだろう。関係ないが、昔NHKポップジャムTHE YELLOW MONKEYが出演したとき、MCでベースのヒーセが、
「このあとお笑いオンエアバトルを見て、ビバリーヒルズ青春白書を見ます」
NHKに対してリップサービスをし、相手のNHKのアナウンサーが、
「ありがとうございます」
と恐縮していた。それらはすべてNHKの番組だったからである。

ところで私は寺山修司
「書を捨て、町へ出よう」
という言葉に最近になって大いに同意できるぶぶんがあり、寺山修司の著書のいくつかを読もうという気もあったが、読んでしまったら、それこそ「書を捨て」と矛盾するから、どうしたもんかと思っている。私はずいぶん若い頃にこの言葉に出会ったが、そのときは
「昔の人はたくさん本を読んだから、そういうのを皮肉った言葉で、今の人には当てはまらない」
と思ったが、今こそみんなは字ばかり追って、ちっとも顔を上げないから町へ出た方がいい。もちろん「町」は比喩で、あとは各自で考えてください。私は語彙を増やすよりも、本以外のことに熱中すれば、少ない単語でものを書くことに対して劣等感を抱かなくなって、その方がよりオリジナリティというところの近い地点に立てる、と信じて今日までやってきたが、こうして書き続けていると、語彙の豊富さに助けられることもよくあり、結局どっちなのかなー、と悩む。