意味をあたえる

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写真についての覚書(2)

少し前から私の小学2年生の子が、
「カメラマンになりたい」
と言い出すようになった。子とは女で、その上に7歳上の姉がいるが、姉のほうはとくにカメラマンになりたいわけではなかった。私は彼女がカメラを構える姿を見たことがないくらい、彼女はカメラに馴染みがなかった。姉のほうは、保育関係とか美容関係とか、ふにゃっとしたことを言った。昨日の記事と今日の記事の間に別のことを書いたがその中で
「子供は得体が知れない」
と私は記したが、その具体例のひとつがこういうふにゃっとしたところだった。親は子の中にどこか芯のようなものを見いだせば、安心するようである。記事のタイトルを「子はアルデンテがベスト」とでもしとけば良かった。私も十代のころ、いや今でも何を考えているかわからないところがあるから、親としても「得体が知れない」と思っているのかもしれない。私も自分の親の得体が知れない。父はまだ酒を飲み、そこで乱れることがあるから、まだとりつく島もあるが、母は飲まない。飲めないわけでなく、飲まない。正月などではまず私と弟がヒートアップし、そこに父が加わり、最後のほうでクールな妹がようやく何か一言二言関係することを口にしても、母は黙っている。母は私たちが口にしたことをすべて記憶し、何かを検証している。そういう気配が不気味だ。

それで、カメラマンになりたいという私の娘のことについて、父に報告すると、
「カメラマンは食っていけない。無理だ」
と突き放した。それは過去に私が父に、どうしてプロのカメラマンにならなかったのか、訊ねたときと、まったく同じ答えだったので私は驚いた。そして、子供の夢を真っ向から否定してかかる父にがっかりもした。しかし、父は他人には家族も含めて干渉しないタイプなので、私は、「おや」と思う気持ちのほうが強かった。父、というか母も三人の子供も、あまり他人のやることに口を出すタイプではなかったので、家族全体に常によそよそしい空気があった。

幸い私の下の子は割と得体の知れるタイプ、または年頃だったので、父の言葉なんて歯牙にもかけない感じだった。クリスマスには
「DSがほしい」
と言っていたから、カメラも実際には買わないかもしれない。DSなら、むしろ私が欲しかった。

私は、父はひょっとして若い頃はカメラマンを目指していたときに、相当嫌な思いをしたのではないか、と私は妄想した。島耕作の漫画の中で、島が若い頃に有名なカメラマンに仕事を依頼しにいったらそこには島と同世代の弟子がいて、弟子はとにかく先生にひたすら殴られ、最後は田舎に引っ込んでしまった。最後は島の「やりきれない」と言った感じの表情のコマで終わる。

私の父も相当殴られたのかもしれない。