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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

写真についての覚書3

このタイトルは今休み休み読んでいるロラン・バルト「明るい部屋」のサブタイトルからとったものであり、私は写真については全く興味がないのだが、読みながらそういえば写真は私の父の趣味であったことを思い出し、いや、どちらかと言えばどうして「写真」というタイトルを目にしてすぐに父を連想しなかったのか、そういう不思議さが私にペンを走らせる動機をあたえた。不思議さというか不自然さというか、あの本の文章はさりげなく父を隠していた。

ところで最初に私のほうの記事をあげたときに、
「結局暗室には窓があったのか、なかったのか」
という旨のコメントをいただき私は、
「いけね、窓を付け忘れた」
と、うっかり屋さんの大工のような気持ちになった。もちろん読み返さなかった。窓がない、というのなら部屋には最初から窓はなかったのだ。そう解釈したほうが楽しい。だいいち二十何年住んだ家で、100回も入っていない部屋があるなんて、まるで封建時代のようで愉快だ。

ここに書くべき文章はもうひとつかふたつあるが、それは後々に書くとしてその前に最初の記事を投稿した後に、翌日続きの
「写真についての覚書2」
を投稿したが、これがびっくりするくらい読まれなかった。実際の閲覧数などはわからないが、☆の数がいつもの半分以下だったので、かなり少ないと判断した。なぜ少なかったのかと言えば、記事を投稿した2時間半後に、次の記事を投稿してしまったからである。いくらその手のことに鈍い私でも一番読まれるのは最新記事で、最新でないものはあまり読まれないことは理解しているが、私は書き終えるとすぐに投稿したくて仕方のない性分なのである。だけれども、後から投稿したのは「サカナクションのメンバーを考える」という極めてどうでもいい内容の記事だったから、なおさら読まれなくてショックだった。どうでもいいや、という気分だったからそんなに読む人もいなくて、ひょっとしたらこれはオマケで、まだ他のがあるんじゃないかと思った読者が、同日のもうひとつの記事に気づくんじゃないかと期待していたが、読者は私ではないので、そこまでする人なんかいないのである。

サカナクションのメンバー」は、書いていて極めてつまらなく、どうしてこんなにつまらないことを長時間考えられるのか、私にはとても不思議だった。もっと面白くする方法もあったのだろうが、私は面白いものに飽きてしまった部分もあるので、それならつまらないことを書けば、新たな表現につながるのではないかと期待したのである。確かに「つまんねーな」と思いながら書き連ねるのは新鮮だった。例えばお金がもらえるとかだと一気に労働となってつまらなさマックスだが、そういうのがないとマゾヒストになったかのような、変態的な楽しみがある。