意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

シャーロック・ホームズと刑事コロンボの違い

朝から何故かネタバレ云々について考えていて、考えてみると私はネタバレ記事を断りなくいくつもやっていて、でもなぜ咎められないのかと言えば、大して話題にもなっていない本を取り上げているのと、読者に理解があるのと、そもそも私のブログがさして読まれてもいないせいだ。しかしマイナーだからといってネタバレを表明しないのはアンフェアではないか、と思うからこれからはきちんと表明したほうがいいと私は思うが、そもそも「ネタ」がどこの範囲なのかわからない。その辺りに詳しい人に訊きたいのだが例えば「カラマーゾフの兄弟」において、スメルジャコフの出自について書いたらそれはネタバレですか? スメルジャコフとはカラマーゾフの兄弟の秘密の四男坊なのであるが。秘密だからやはりネタバレなのかもしれない。例えが悪くてこれ以上考えるのが面倒になった。

それで例えばシャーロック・ホームズで犯人をバラすのはネタバレになるが、刑事コロンボではネタバレにはならない、と定義する。私はシャーロック・ホームズは小学四年生の時に子供向けにアレンジされたのを読んだが、最初に読んだのは「赤の怪事件」というやつで、大人向けのタイトルだと「緋色の研究」というやつだ。本当は「地獄の魔犬(バスカヴィル家の犬」が読み応えありそうだったが、私にはそこまでの政治力が当時はなかったので違う人の手に渡った。シャーロック・ホームズはそのときの担任の先生が、
シャーロック・ホームズはとても面白い。ぜひ読んだほうがいい」
とあるとき言ったから、男子がみんな図書館に殺到したのだ。なぜ男子ばかりなのかと言えばその担任とは男だったから、男の気持ちに立ってシャーロック・ホームズを薦めたからである。女の子は「わかったさんシリーズ」とかを放っておいても読むので無理に薦める必要はなかったのです。私は「わかったさん」とか「こまったさん」は、大人になって子供が学校で借りてくるようになって初めてその存在を知った。装丁がぼろぼろになっていて、私が子供のころから図書室にあったのだと推測される。私は子供と同じ小学校に通っていた。

その男の先生は前からはげていていつも青系のジャージを着用していて、運動会の練習では私たちにこっそり
「アソコがもっこりしている」
と陰口を叩かれていたが、彼は決して勃起していたわけではなく、それはたぶんジャージとかブリーフの構造が股間を際だたせていたせいだ。彼ははげていたから中年だと私たちは思っていたが意外に若く、私が卒業して少ししてから養護の先生と結婚したから私はびっくり仰天してしまった。なぜ卒業したのにそのニュースを知ったのかと言うと、妹と同じ学校に通っていて、さらに弟も私も入れ違いで入学した。

「赤の怪事件」に話を戻すが、読んだことのある人は知っているだろうが、あの話は実は半分くらいで事件は解決し、それ以後は犯人の男の生い立ちみたいなストーリーが延々と続く。たしか移民だかなにかで、荒野を馬車で延々と進む描写が続き、私はそれを読むのが苦痛だった。なにせそこにはもうホームズもワトソンも出てこないのだから、シャーロック・ホームズを読んでいる感じがまるでしない。だけれども今振り返るとそれこそが読書で、なぜそうなのかと言えば、こうして印象に残っているのが事件の内容よりそのつらかったことであるからだ。読書というのは負荷ばかりじゃ嫌になっちゃうけれど、負荷がなければ退屈だし、退屈に感じるものは、読む価値がない。

それでその苦痛だったシャーロック・ホームズについて、それから20年近く経ってからマイケル・ギルモア、村上春樹訳の「心臓を貫かれて」を読んだら、やっぱり西部開拓自体に家族が旅をするシーンがあって、私は
「赤の怪事件に似てるなあ」
と思った。

それでこれはあまり関係ない話だが、あるとき叔父に
シャーロック・ホームズ刑事コロンボ、どっちが好き?」
と聞かれて、私は「刑事コロンボ」と答えたが実はどっちでも良くてそもそも私は「刑事コロンボ」をまともに見たことはなく、刑事コロンボは私が子供の頃金曜ロードショーでいつも水野晴郎が、
「さあ、来週は「刑事コロンボ」ですよ!」
と言ってすると、例の
「ちゅーるーる、ちゅーるーる、ちゅーるーぅる・るー、、、ふぁーらーらーらーらーらーらっらー、、、」
というテーマ曲が流れ、私が知っているのはその一連の流れでその流れが好きだったから
刑事コロンボ
と答えた。

叔父とは母の弟の叔父で、叔父とその母親は典型的な刑事コロンボ党で、その後古畑任三郎が登場すると、従姉妹もひっくるめてかなり熱心にビデオを借りてきて見ていた。祖母は犯人がわかっていなあと小説を読み進められないらしく、推理小説はまず結末から読んでいく。私も実はその気持ちは少しわかり、昔「孔雀王」という映画が三上博史とユンピョウの主演で放送され、三上の師匠は緒形拳だった。それを私と弟は熱心に見て、そうするとやがて飽きるから、そうしたらどうしたかと言うと、今度は逆再生で繰り返し見た。逆再生だと特に飛び降りたりだとかするシーンが面白い。孔雀王は最後「かいましょうげじん」という巨人に打ち勝って終了するのだが、逆再生だとかいましょうげじんは蘇って殺された人は生き返って傷もふさがり、解かれた封印は元通りになって、途中で死んだユンピョウのお師さんも口から血を流して死んだがそれを飲み込んで元気いっぱいになってユンピョウにアドバイスし、安田成美もよくわかんないけどいつも通りになって平和だからなんだかなー、と思った。