意味をあたえる

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郵便 保護者欄(冬休み用)

ナミミが高校受験なので、今日願書を出してきた、郵便である。先に学校へ調査書をもらいに行き、するとナミミの前には別の男子生徒がいたが、男子生徒は何をやらかしたのか、職員室内で男性教師に怒られていた。男性教師とはTという名前で、私の「余生」という小説を読んだ人ならご存じだと思うが、ナミミの一年の時の担任にFという女性教師がいたが、この人が頭を刈り上げた自衛官のような髪型をしており、戦車のような巨大な黒い車を駆って我が家に来たことがあった。私の家の庭は、詰めれば三台停められる駐車スペースがあるが、Fの車が来たら二台でいっぱいになり、私はやむなく角のカーブミラーの傍らに車を停めた。Fは当然運動部の顧問であり、太ももも太い。太もものFであった。Tというのは、最近になって赴任してきた若い教師で、ナミミの話だとFの腰巾着になっているらしい。師と仰いでいるとか。

そのTが単独で男子生徒を吊し上げている。Fは休みだったが、たったひとりが相手なら師がいなくても生徒に制裁を加えることができる。
「なんだお前のその恰好は!? シャツが出ているぞ? だらしのないやつだ」
Tの声が職員室の廊下に響き渡る。職員室の廊下は氷の上のようにひんやりしている。上履きを忘れたナミミは、片足ずつ交互にもう片方の足の上に載せ、冷たさをこらえた。ナミミは怒鳴り声が止むのを待って、職員室に入った。Tは真っ赤な顔をして、肩で息をしていた。傍らにストーブがあり、ひょっとしたらストーブの真似事をしているようにも見えた。怒られていた生徒はひょろりと背が高く、Tとは対照的に涼しい顔をしていた。シャツは出ていた。全部出ていた。

ナミミと母親は調査書を手に入れると願書の封をし、帰りがけにポストに入れた。ポストは酒屋の前にあった。酒屋は閉まっている。酒屋の向こうには職業安定所があった。安定所は開いていた。帰ってから夫に投函したことを報告すると、
「年賀状は本局に出すくせに」
とイヤミを言われた。その後夫はメロンパンを頬張った。実にパンをうまそうに食う男だった。パンは願書の帰りにパン屋に寄って買った。

ナミミは出かける前に父親に、「冬休みのしおり」の保護者欄に記入するよう頼んでいた。この家では書き物は父親の担当だった。母は
「字がうまくないから」
と言い訳したが、単純に書くことが思いつかない女だった。父の字はうまくも下手でもなかった。父は、昔の勤め先に、とても美しい字を書く女の人がいて、その人の字を見て練習した。女の人はすらりとしていて、顎が少し曲がっていた。
ともさかりえと同じ病気なんです」
と女性は言った。

父はしおりを受け取ると
「どうせ誰も読まない」
と誰に向かってでもなくつぶやいた。いつでもそうだった。

以下、保護者欄

「冬休みは学校の宿題に追われ、受験勉強はどちらかと言えばおろそかになってしまいました。私としては、受験勉強をしなければならない生徒は、宿題は免除するなどしてほしかったです。「受験勉強したと嘘をつく人がいる」と教師の人は思うかもしれませんが、それならば冬休みに解いた問題集や書き込んだノートを提出させればよろしい。公務員はそういう融通がききづらい、という意見もあるかもしれないが、私が高校三年のときは、そういうのもあった。実際にそうした人があったかは知らないが。私はあなたも知っての通り、公立高校出身です。山の中のC高校に通っており、そこでは昼間は三十分に一度しか電車が来なかった。あなたの志望しているM高は駅のすぐそばに校舎はあり、私が高校の時などは車窓から、そこへ向かう生徒の姿などもよく見たものだ。生徒たちは田んぼの脇の道を歩いており、冬などはとても寒そうだった。田んぼの向こうは森で、その先は川だった。私はその河原でバーベキューをしたことがあり、そこであなたの母親と初めて会ったのですよ。私はその頃コンビニのアルバイトをしていて、夜勤明けで眠かった。いや、夜勤明けだったのは連れの方で、だから私はさほど眠くはなかった。私はオレンジ色のポロシャツを着ていた。オレンジは私の大変気に入った色だった。そこで水色のビニールシートを敷き、肉を焼いて食べた。ビールはアサヒスーパードライの500mlの缶で、500は多いから飲むのに時間がかかり、後半はぬるくて不味かった。多くの人がビールを残し、最後にその飲み残しで火を消した。三学期も頑張ってください。」

※読者の中には狭い保護者欄によくそんなに書けたものだと疑いの目を向ける方もいるかもしれないが、私は大変細かい字で書いたので四角ははみ出したものの、同じページにおさまった。

※前回の保護者欄