意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ウォッシャー液

私も妻も車に乗るが、妻の車ばかりウォッシャー液がなくなるのはなんでだろう。妻が
「ウォッシャー液なくなっちゃった。お父さんにお湯入れてもらおう」
と独り言のようにつぶやいた。お父さんとは彼女のお父さんであり、私のお義父さんである。よくシャンプーが残り少なくなるとお湯を足す人がいて、最近になってそれって不潔ですよみたいなのをネットで見かけて、
「そういえばそうだな」
と思った。しかしそれはシャンプーの話で、ウォッシャー液はエンジンルームというところはそもそも泥をかぶったりするので、不潔でもかまわない。

一方妻からすると、私の車の方のウォッシャー液がちっとも減らないことが不思議である、と言いそのとき私の車に二人で乗っていたから、私がワイパーのレバーを引くとウォッシャー液が、
「ぶしゃー」
と出た。確かにひさしぶりにウォッシャー液を出した。私がその旨を言うと妻は
「確かにあなたはフロントガラスが曇っていようが汚れていようが、かまわず乗り続ける。とても不思議だ」
と言った。言われてみるとどうしてガラスが汚くとも安全運転ができるのか、私も不思議だった。私がフロントガラスを拭くのは鳥の糞が付着したときくらいだった。

10年近く前に私の家の近所に竹藪があって、そこに鷺のような白い鳥が群で住み着いたことがあり、白い色は成鳥であり、灰色がかったのは大きくても子供の鳥であった。そういうのが朝になると集団でどこかへ出かけて、夕方になると竹藪に帰ってきた。その出かけるコースに私の家の庭があってそこにいつも私たちは車を停めていたので、それらの糞が
「べちゃー」
とついた。斜めに伸びた糞なので「べちゃー」なのである。よくウンコは人の健康状態を表すと言うが、この斜めに薄く伸びた感じは紛れもなく元気よく飛び立ったことを示したようであり、私はむしろ清々しかった。私はその当時はまだシキミが赤ちゃんくらいの年齢だったので彼女のお尻拭きで糞を拭き取った。

それで近所の人もだんだんと鳥の大量の糞とか鳴き声に迷惑するようになり、どうにか鳥たちを追い出そうとしたが、その竹藪の土地主の家が私たちの地域の北朝鮮的な様相を帯びた一家であり、私が結婚したときに近所中に義父と挨拶してまわったが、その家の前に来ると義父は苦々しい顔をし、
「この家はいいや」
と言った。その家はいわゆるゴミ屋敷でもあり、庭では錆びた自転車とか折れた物干し竿とかが山になっていた。だから鳥というのは動物的な勘で自分の住みやすい場所を選べるのかもしれない。青い屋根の家だった。