意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

トイレット君

私の会社の納品業者のドライバーで、私がひそかに
「トイレット君」
と呼んでいる人がいて、なんでそう命名したのかと言えば和式便器のような顔をしているわけではなく、毎回、私の会社のトイレを利用していくからだ。もちろんドライバーも人間なのだから、トイレくらい行きたくなるし、トラックにトイレがついているとはかぎらないから、別にそれを咎めようとは思わない。しかし、彼は来る度にかならず
「トイレ借ります」
と最近ではこちらの目も見ることなく最短ルートでトイレを目指してしまうし、あと私の会社は小さな会社なのでトイレなどは従業員で順番こに掃除していくわけで、そうすると私は月に一度か二度彼の糞尿をこすげ落としているわけだから、心の中で
「トイレット君」
と呼んでもバチは当たるまい。トイレは従業員だから会社の奥の方にあり、扉の裏には掃除当番表があって、表の上には
「洗剤はきちんと流しきりましょう」
と注意を促す紙が貼られている。洗剤をぴゅっぴゅっとやるだけで済ませてしまう人もいるのだ。あと男子便所という場所は、とくに小便器の周りの床が汚いので、最初にチェックすべき場所はまずは床なのである。あと私の会社のトイレはなぜか壁紙がよれよれになっている箇所があり、そこを箒でつつくと、土くれみたいなのがどんどん出てきて怖い。

そのトイレット君が、最近後輩を連れてくるようになってきて、するとそれまでは猫背で、なよっとして、こちらが
「伝票ください」
と言ったら運転席まで走って取りに行くような(言わないと、そのまま走り去っていく)気の利かなさ、さらにはなよっとして、しゃべり方ももごもごしてしょっちゅう股間をいじるような(イメージ)内気なキャラだったのが、後輩ができると、急にお兄さんのようになって、
「前から思ってたんスけど、ひさしの裏にツバメの巣がありますね? 春が待ち遠しいっすね」
なんて言ってくるからこっちもびっくり仰天して
「はあ」
と答えた。トイレット君の後輩はおそらくトイレット君よりも年が上で、トイレット君よりも重心はもっと下にある、しっかりした感じの人だった。彼は眼鏡をかけていた。

私は彼のあだ名をまだ考えてはいないが、なんと初日からトイレット君は後輩を私の会社のトイレに招待し、連れションなどをキメたので、「トイレット君二世」とか呼んでしまうかもしれない。

しかし、ああやって二人で連れ立ってトイレに向かう姿を見ると、影で
「あそこのトイレはちょろいぜ?」
とか言われてそうで私は正直おもしろくない。

ここまでトイレット君について書いたが、書く前に
「トイレット君」にしようか、
「トイレットくん」にしようか迷ったが、前者を採用した。そういう迷いが物を書く楽しさなのである。漢字かどうかの違いだが、「君」のほうが馬鹿っぽそうだと思った。これは私の勝手な考えだが、平仮名というのは、大人のほうがよく使う。だから子供っぽさ、無知っぽさを演出したければ、漢字で書く方が雰囲気が出る。子供からすると漢字は目新しいから積極的に使いたいのである。習った習わないは関係ない。私の子供は就学前に「嵐」と「毒」が書けた。嵐はわかるが、なぜ毒なのか、私が毒親だと告発したいのかわからないが、しかし就学して漢字を習い出すと、これらの字は書けなくなり、「町」だの「道」だのつまらない字ばかり練習している。

小島信夫の「菅野満子の手紙」という小説、またそれの元の話である「女流」という小説では、菅野満子の息子が、主人公の兄に宛てて早く逢いたい旨の手紙を出すのだが、息子はまだ幼く、字が不自由なのでぜんぶカタカナで寄越した。しかし実はそれは子供を騙って満子本人が書いた手紙であり、満子と主人公(小島)の兄は姦通していたのである。やがて兄は肺を患って死に、満子は女流小説家となって長生きする。

その、カタカナばかりの手紙を読むとぞっとする。