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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

F短歌と

短歌

上記の記事でいまださんは、私の短歌を「エフ短歌」というふうにひとつのジャンルとして認めてくださり、さらには「エフ短歌好きのための読書案内」まで行ってくれた。いまださんがお勧めする書籍には興味があるが、果たして私が「エフ短歌好き」なのか、私は自分で考え込んでしまった。最初に読んだ直感に、いまださんのいう
「エフ短歌好き」
に私が含まれていないような気がした。たとえば××のように、話している本人は含まれない的な。(××のぶぶんはぼんやりとイメージはできるが、具体的に出てこないので、各自で埋めてください。割と身近なものの気がします)

自分の短歌、引いては小説その他の文章全般について、どこまで好きになるのかというのは意外と大きな問題である。いわゆる距離感の重要さ、である。確かに好きでなければ書けない、楽しくなければ書けない、というのは特に初心者にとっての動機付けとしては必須なのかもしれないが、しかし長期的な取り組みとなると雨のときも、曇りのときもあるのだから、まったく同じように書けても
「ちっとも楽しくない」
ということはありうる。人はそのような状態を「スランプ」と呼んだりするが、私に言わせれば、それは単なる感情の誤差に過ぎない。前にも似たことを書いたが、よく自分が楽しければ意味がないという主張に対して
「自己満足」
と批判する人がいるが、ひっくり返せば自分が嫌々作ったものでも、面白がる人がいるという意味で、そういう意味では「楽しくない」という状態は希望に満ちている。私は楽しいとかつまらないとかあまり意識しないように心がけていて、だからこそ上記のいまださんのような書き方には、慎重にとらえざるをえない。

確か「短歌の目」の卯野さんも、前に私が
「できるだけうまくならないようにやっている」
というのを覚えていてくださり、私の短歌を言い表すスローガン的な扱いをしてくれた。いまださんの記事でも同様であり、しかし私は段々と上達はしてしまっている。私が初めて短歌に取り組み始めたころは、「57577」という文字数がよくわからず、書いたものの字数を、頻繁に指折り数えた。最初のころは、題目で思い浮かんだことを適当に書き、それから五文字と七文字にならないぶぶんを消していった。そのためにワタシは指を折って文字を数える必要があった。漢字や「っ」などは紛らわしかった。しかし今では最初から五文字七文字で出てきてしまうし、わざわざ数えなくとも
「これはオーバーしてるから使えんな」
とか判断できるようになってしまった。非常に残念な話である。もう私の頭からは、短歌ナイズされた言葉しか出てこないのである。

しかし救いなのは私は癖なのか「57575」でまとめることが多く、最後の5を7にしなければならない。そのときに私の場合7に置き換えるのではなく、2を付け足して7にするようにし、そうやって下手っぽさを演出するのである。