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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

初心者の見通しの良さ

短歌

昨日の記事はまだ書ききっていなかったが、隣でナミミが「ヒルナンデス」の録画を見ていて、そこに藤田ニコルとあともうひとりと、それに対して大久保加世子といとうあさこという芸人タッグが原宿を練り歩く、というのがやっていて、私は藤田ニコルのマーガリンを塗りたくったような顔が気になって仕方がない。私は藤田ニコルの何に対して嫌悪を抱くのか実はよくわかっておらず、しかしそれを子細に分析してしまうと、感情がひっくり返って好きになってしまいそうだからあまり考えない。だからもうそれ以上書けなくなってしまった。あと、ナミミが
「高校生のイメージを壊さないで、てハガキが来るらしいよ、藤田ニコル」
といらん情報を提供してきて集中できない。どうして人は、私が茶の間にいるとテレビを見ていると思うのだろうか。

全然関係ないが、加藤ミリヤという文字の並びを見るといつも「お姉さんの加藤センチヤはお元気ですか?」と言いたくなる。

私は「短歌の目」に参加していた頃、他の参加者の作品などを見ると、「勉強する」という人が多く、また実際に歌集などを購入する人などもいて驚いた。どうしてそんなに急いでしまうのか、と思った。しかし私にしたって、私は三十を過ぎてからは頭の中が「小説、小説」ばかりで、どうすれば面白い小説が書けるかを四六時中考えていたから、似たようなものだった。だから、短歌をたくさん勉強したという人は今度はもっと別のことをやろうと思ったときに、「もっといい加減にやろう」と思うのかもしれない。

表現に限った話でなく、仕事でも前に若い人が入ったときに私は
「初心者にしか感じないぶぶんもあるから、何か変だなあと思ったら教えてほしい」
と頼んだことがある。初心者は我々同じことを繰り返してきた人よりも、ずっと見通しの良い目を持っていると思ったのである。今思えば、そう言う私も、そのときは初心者の目を持っていたのかもしれない。

テクニックを身につけてしまうと、
「こうでなければダメだ」
という発想が出てくるようになってしまい、私はそういうのが嫌だ。ダメなことなど何もないのだが、そうやって言えるのは書いていないときだけなのである。過去の自分の褒められた箇所を参照し、それに習ってしまおうとするのがいちばんよくない。それはビギナーズ・ラック、あるいは単なるラックなのである。私は十代のころは米米CLUBが好きだったが、解散直前のころに、
「あの頃に戻ろうと思う」
という発言をインタビューでしていて、結局それから一年たたずに解散してしまった。クラスで米米好きは私しかいなかったので、友人たちからは
「ざまあみろ」
みたいなことを言われた。そりゃあミスチルとかドリカムとか応援している人は安泰だろうよ、と私は思った。彼らは感性でなくファッションで音楽を聴くのだ。だから米米を聴く私が「ダサい」と写る。

米米CLUBのすごいところは、自身のミュージックビデオを発売したら、雑誌のレビューで「0点」を獲得したことである。私もそのビデオを持っているが、0点で妥当だと思う。三曲入っているうちの二曲がアルバムにも入っていない歌のアカペラで、残りの一曲はダンサーにブルマを履かせて、アダルトビデオまがいのことをしながら歌っている。私はあるとき友達にそのビデオを貸したら、
「家族と見ていたら気まずくなったじゃねーか」
と怒られた。

しかしシングルが売れるようになってしまった米米CLUBは徐々にそういう奔放さが許されなくなってしまった。「君がいるだけで」がヒットした直後のライブでは、あえて「君がいるだけで」を歌わない、あるいはカラオケで流して演奏はしない、ということをしたら、古いファンは大喜びしたが、新しいファンはがっかりした。