意味をあたえる

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花澤香菜はポストやくしまるえつこになるか

私は少し前に花澤香菜の「こきゅんとす」という曲を聴いて、
「いい曲だな」
と思った。曲の主旨としては坂道を登って心臓がばっくんばっくんとなる、というものだった。曲のクレジットを見たら作詞作曲がやくしまるえつこであり喜び半分、がっかり半分、といったところだった。喜びについては私の感性の統合性が証明されたことによるもので、がっかりについては、相対性理論(バンド)に近い、新たなミュージシャンを開拓できた、と思ったが結局身内だったから新しくないというがっかりだった。

しかし花澤香菜が新しいことには変わりないので、私は今朝も車の中で聴いていたが、曲の中にラップ調で女性側から男性を口説くことに対する意見を求めてくる曲があって、私はその問いを向けられる度に眉間に皺を寄せ、
「どっちでもいーよ」
と思ってしまう。どうしてなのだろうか。もっと比喩がほしいところだ。同じようなテーマの曲に、パスピエというバンドの「最終電車」という曲があるが、これは聴く度に
「この女(叙情主体)は相当エロいな」
とわくわくした気持ちになってしまう。

私は歌のある音楽とない音楽を半々ぐらいで聴くが、歌のある場合、歌詞が良ければ音楽にはけっこう目をつぶれるが、逆は駄目だ。私が歌詞がすばらしいと今まで思ったミュージシャンは三組いて、1、ブランキージェットシティ 2、相対性理論(バンド) 3、andymori である。andymoriはアンディー・ウォーホルとメメントモリをくっつけた名前に由来します。ブランキージェットシティについては当ブログでも何回か取り上げたので、よく読んでくれる人はご存じだと思う。相対性理論は、最初レンタルビデオショップでおすすめ欄にCDがあったので手に取ったら、普通裏に曲のタイトルの一覧があって、それを見たら尋常じゃない感じがして、借りて聴いたらやはり尋常じゃなかった。演奏もすばらしい。私はすっかり虜になって、相対性理論がやっぱりいちばんだが、ソロのやくしまるえつこでは、「nekomeshi」という曲はにゃんにゃん言ってばかりの曲だが、後半のサビの間に入るドラムソロがとてもカッコ良くて好きだし、あと、相対性理論は途中でベースとドラムの人が脱退するが、その人たちがプロデュースしたタルトタタンというユニットには、「入り鉄砲に出女」という曲があるが、その中で叙情主体が引き笑いする先輩にどん引きする様子も好きだ。

それではベースとドラムが抜けた相対性理論は抜け殻かと言えばそうでもなく、最近のアルバムだと「キッズ・ノーリターン」という曲で手違いでタイムマシーンに乗り込んでしまう辺りも好きで、私なんかはよくモノマネして、ひとり引き笑いしている。


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入り鉄砲に出女

入り鉄砲に出女

最終電車

最終電車

※「こきゅんとす」ではなく「こきゅうとす」でした。