意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

今日明日はどこまでもつづく

このブログを始めて間もない頃に、今日の出来事ばかりを書いている時期があって、そうなると書き出しは自然と
「今日はーー」
となる。そういうのが3日もつづくと、そのうち飽き飽きしてきて、
「なぜ今日という日には今日しかこないんだ」
とうんざりした。私はそもそも飽きっぽい性格だから、今日のことばかり書くことはできないのである。それならば過去のことや未来のことを書けばいいのかもしれないが、書いている自分は今日にしか存在しないのだから、同じことだった。

私が中学に上がって間もない頃に、教材販売の営業が我が家に上がり込んで営業し、そのときに、
「明日というのは永遠につづくが、今日という日は今日しかない」
と私に話した。違った。それは高校に上がったばかりのころの話で、中学のころは断って、高校は教材を購入した。違う業者である。購入したから、良いことを言うと印象に残ったのである。しかし、もう契約をとった後なのに、ずいぶん偉そうなことを言うな、とも思った。後だからだろうか。

しかしそれから20年も経つと、今日だろうが明日だろうが、永遠につづく、と思うようになった。私たちは死んだら今日も明日もなく、そこに異論はないが、私は、果たして死んだときに死を認識する瞬間がやってくるのだろうか、と思うようになった。
「死ぬ死ぬ死ぬ」
と思いながら、ブラックアウトしていくのではないか。「死ぬ」と思う瞬間は生きているのである。だから、今日も明日もずっと続いていく。