意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子育てブログ

私のブログをおおまかにジャンル分けすると「子育てブログ」ということになるが、子育てに関しての記事があまりないのは、もう下の子が小学生になって、書くほどのニュースもないからである。二年前は幼稚園に通っていて、そのときに馬が死んだ。馬は私が幼稚園年長か年中のときにやってきた馬だった。馬の種類はポニーだったが、私は「本人」と聞き違えて、それが馬の名称だと思い込んだ。あまりに「本人」、「本人」、と言うものだから、担任がお知らせで、
「本人はポニーを「本人」と思いこんでいます。ご家庭で誤解を解いてやってください」
と書いてよこした。父が笑いながら
「ポニーだ」
と教えてくれた。私はその記憶がはっきり残っているが、両親ばかりまったくおぼえていない。私はたまに馬に餌をあげた。その馬がそれから30年も生きるとは思わなかった。馬は二度脱走した、と休み明けの手紙で園長は回想した。夏休み中に死んだのである。死ぬときくらいは自分がな主役に、とでも思ったのか。

ああ、世の中で自分が人生の主役と思う人のなんと多いことか。

私が子供の話題をあまり取り上げないのにはもうひとつ理由があって、私は昼間ラジオを聞きながら仕事をしているが、あるときパーソナリティの落語家が、
「まくらで落語家が自分の子供の話をすると、大抵すべる。林家木久扇師匠も木久蔵時代に、お子さんの現・木久蔵の話をしたらすべった」
と言うのを聞いて、なるほどと思ったからである。確かに自分の子の話をすると気がゆるんで、話が主観的になりすぎるきらいは、誰でもある。別に個人のブログで話の主観、客観にこだわるのもおかしいが、私は無駄にプロ意識が高く、読んだ人全員が楽しめるような記事を心がけているのである。だからしない。

しかしながら、私もたまには子供の話をしたいと思うこともあり、それならばと、自分の母にしたこともある。そのときはシキミが遠足に行ったら、いつもやたらと仕切りたがるクラスメートがいて、男子が言うことを聞かずに好き勝手するからぶち切れて泣いた、それについてシキミは冷静にクラスメートの仕切りたがりが過ぎたことに苦言を呈し、小学二年でよくぞそこまで人間の心理、欲望を分析できたと私は感心したから、母にそのことを報告したら、母は
「自分以外は悪く見えるものだよね」
と大変シビアな反応をし、この人は孫に対する愛情が少し欠落しているのではないかと思った。母も母でプロ意識が高く、物事をフェアに見ようとする気持ちが強いのだろう。