意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

卒業式

口ロロクチロロ)というミュージシャンの「卒業」という曲を聴いていたら、なんだかわんわん泣きたいような気持ちになった。私はまだ昨日か一昨日くらいに初めて口ロロというミュージシャンを知ったからそういう気持ちになるのであって、繰り返し、繰り返し聴いたらもうそういう感情は逓減していくのだろう。

「卒業」の中では実際の卒業式の模様が録音されており、教頭先生が開式のあいさつを行う挨拶の中で、
「平成20年度、卒業証書授与式を......」
と言っていたので、それは平成21年の3月のある日の出来事であった。もうそれから7年が経ったのである。仮にこの卒業式が中学のものだとしたら、生徒たちはとっくに大人を突破しているのだ。そんなふうに考えるとたまらない気持ちになる。

一方の私は21年3月に何をしていたのかと言えば、その半年前に転職し、その派遣期間が半年で切れ、社員になる話があったがもっと条件の良いところを探そうと話を蹴ったところだった。先に辞めた人が、
「ここよりいい勤め先なんて、いくらでもありますよ」
と言うのを、私は真に受けたのだ。その人は年末で辞め、正月はゆっくりすると言っていた。独身で猫を飼い、水曜にキックボクシングのジムに通っていた。実家は京都である。完全無欠な感じだが、前から少し禿げていた。私のひとつ上だった。その人くらいキャリアがあったら、私も苦労しなかったかもしれない。3月になるとリーマンショックの影響で、仕事の数が激減した。次の職場の面接に行く前日に、話をなかったことにされた。それは渋谷にある会社だった。ホームページには社員の顔写真とプロフィールがあり、社長は若くて格好つけていた。

京都の禿げは独身でキャリアもあったから、リーマンショックだろうが平気だったのかもしれないが、私はもともと畑違いの業界にいたし、家族もいたので、焦ってしまった。今ならもう少し気持ちに余裕を持って、ズルくやることもできたが、当時はとにかくすぐに次を見つけなければヤバいと思い、それしか考えられず、目についた派遣会社は一通り登録し、多いときは日に4つくらい面接を受けた。自己PRがどんどんうまくなってしまい、ひとりで軽く5分はしゃべれるようになってしまい、しゃべり終わると
「お、おう」
みたいな空気になって、先方も引率の派遣会社の人も、誰も何も質問できなかった。私のPRが完璧すぎて、突っ込みどころがなかったのである。

いつのまにか四月になってしまい、どこかの駅の前で電話しているときに
「暑いな」
と思い、ワイシャツの中が汗ばんでいることに気づいた。護国寺だっただろうか。なんでこんな天気いいのにスーツなんか着なきゃいけないんだよ、と思った。

やがて一社受かってそこは正社員で働くことができたが、結局秋になる前に辞めた。その話はまた今度。