意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

この世で私だけが寒い

花粉症がひどくなってきたので目医者に行ったら、待合いが異様に寒く、しかしほぼ満杯になった待合いの席の人たちはへっちゃらそうで、もちろん中には若い人もいるが、大半は年老いた人や、車椅子で来ている人もいるから、この寒さは私だけの感じる類の寒さかもしれない、と推測した。看護師たちは腕まくりをしているのもいたが、あの人たちは立って歩き回ったりしゃべったりしているのだから、むしろ多少寒くても腕まくりをしなければ、サボっていると思われてしまうのだ。さきほど車椅子の老婆の話をしたが、車椅子のメーカーはkawamuraというメーカーで、背もたれは赤のチェックで、ニルヴァーナのなりそこないのような柄だった。ちなみにニルヴァーナの比喩は会社の後輩が先に言い出したので、私の発想が卓越しているわけではなかった。

中待合いに行くと、カーテンの向こうから医師がやたらと
白内障
と連呼してくるのが聞こえた。しかもどれも軽い白内障で、いますぐどうこうする必要はない、と医師はアドバイスした。しかし視力は徐々に落ちていく。私は医師の話に耳を傾けながら、小島信夫のことを思い出し、小島信夫の最晩年の「残光」という長編の中で、小島は目がよく見えなくなって、お弟子さんに口述筆記を頼んだり、あと「寓話」「菅野満子の手紙」という過去の小説を引用するにあたり、山崎勉という人に読んでもらったりしている。この山崎勉という人は話の中でよく登場する人物なのだが、ある章から突然表記が「Y.T」と変わる。そこに何かしら意味があるのかないのか、もしかしたらフィクションが立ち上がったのかわからないが、読んでいてものすごくわくわくした。ちなみに私は文庫の「残光」を読んだのだが、巻末の解説がまさに山崎勉その人で、
「ついにご本人の登場だ!」
と私はぶっとんだのである。

白内障の次は私以外の花粉症患者が呼ばれ、その人は目が腫れていた。前回は耳鼻科に行ったが、薬がイマイチだったので、眼科に鞍替えした。この「薬がイマイチ」という表現が医師のプライドを傷つけたのか、患者に対し、
「花粉症のお薬で、10の症状が0になる、ということはありません。それより生活習慣を改善してください。外から帰ったらすぐに着替えて、着ていた服はすぐに洗って、あと、そのあとに出かける予定がないならシャワーを浴びて、花粉を流しちゃいましょう。寝るときも、お風呂に入ったらすぐに寝ましょう」
と能書きを垂れだした。男の医師である。私は自分の番のときにも言われたらやだなーと思った。私は患者が弱っているところにつけ込んで、能書きを垂れる医者がイヤなのである。手塚治虫ブラックジャック」の中で、ブラックジャックが子供を診察している横で父親が、
「○○って病気じゃないですか?」
「なんとかの疑いはありませんか?」
とかやたらと口を挟んでくる。業を煮やしたブラックジャックが、
「私ゃあね、そうやって中途半端な知識をひけらかす患者がいちばんキライなんだ」
と一括する。私は読んでいて、ブラックジャックの気持ちもわかるが、わが子が弱っていれば、口も挟みたくなるだろうから、むしろこの父親を気の毒に思った。患者の話を受け流すのも治療の一種なのではないか、と思ったのである。なんの話かわからないが、私はブラックジャックと同じ心境だったのだが、医者は向こうで、知識も中途半端ではなかった。

そのとき背後から私は名前を呼ばれ、ようやくこの病院には医師がひとりではなく、複数いることに気づいた。カーテンをくぐるとこちらは女の医師で、物腰もやわらかかったので私は安心した。いくつかの診察の中で、
「では、緑の光を見てください」
と言ってきたときがあったので、私はこちらは緑内障担当なのかな、と思った。


日が出てきた。