意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「典型的AB型」からの卒業

部署内で何度目かの血液型トークが行われ、確かに私が入ってから二度か三度はお互いの血液型情報の交換を行ったが、少し経つと全員が全員のを忘れている。ただ、自分のは忘れない。今回は最近初めて血液型を知った、という人と、最近入った若い人がいずれもAB型ということで
「おお」
となった。しかしそのとき私は別室で仕事をしていて、最近私は別の業務もやるようになったから、いかにして定時帰りをキープするかに思考のリソースをさくことが多い。残業代の誘惑もある。それでお昼になって、お昼は全員がお昼なので、同じ部屋に集まったから私は
「よう、AB型軍団」
と声をかけた。しかし最近血液型を知ったという人は先輩で、手術したばかりなので、もっとやっこい言い方をした。もうひとりは若いからAB型軍団かと思ったら、
「あ、僕はAです」
と訂正された。私の言い方がそんなに気にくわなかったのだろうか。

それで私がABだと言ったら
「Oだと思った」
と驚かれたので(私は過去に二度は自分の血液型情報を開示している)それをひとつの成長として受け取った。

ゴルゴ13の作者、さいとうたかをは大の血液型別性格診断の信奉者であり、血液型の本も出していて、私はそれを読んだことがあるが、性格は血による特徴によって決まる、という主張だった。当然ゴルゴの血液型も決まっている。何型だったか忘れたが、普通の血液型だった。私は、多くのAB型の人がそうであるように、いや、実際には知らないが、血液型で性格が決まるなんてナンセンスだと思っていたから、さいとうたかをの主張もナンセンスだと思っていたが、興味深かったのが、血液型によって性格は決まるが、「いかにもその血液型」的な性格の人は精神的鍛錬の足りない人、と言っていたぶぶんである。「精神的鍛錬」という言葉ではなかったが、その血液型による短所は克服可能であるから、克服しなければならない。

私は20台のはじめ頃には、同じAB型の女友達と仲良くしていて、しょっちゅう
「君は典型的なABだ」
と言われた。私が血液型で性格を判断するなんて、ナンセンスだ、と言い返すと、
「そういう言い回しが、AB型の特徴」
と、まったくつけいる隙がなかった。こうして文字にしてみると、彼女も苦労の多い人生を送ってきたのだろう。確かに、
「AB型はひとりの時間がないと駄目だが、寂しがりや」
という彼女の指摘には首肯するぶぶんがあった。

ところが、私はTwitterを2010年に始めたら、たまに血液型の特徴をまとめました的なツイートが流れてきて目にすると、それは各血液型でツイートが分かれていたが、どの血液型にも、
「ひとりの時間がないと駄目だが、寂しがりや」
とあるのである。AB型の特権だと思った自己矛盾が、実際はまったくそうではなかったのである。私はこのツイートを見て二つの教訓を得た。ひとつは、自己矛盾はある程度の自意識があれば必ず抱えるものであること、もうひとつは誰も自分以外の血液型には興味を示さないということだ。

それで時代は現代に戻り、昨日私は
「AB型には見えない、O型だと思ってた」
と言われ、さいとうたかをの著書のことを思い出し、私も成長したんだと、素直に喜んだ。また、別の人には
「弓岡は同世代では性格が丸いほうではないか」
と評価された。性格が丸い、とは色んな定義があるが、私としては妥協できる領域が増えたのではないか、と思っている。