意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

頭売った

都内で仕事があったので都内に行き、お酒が出てきたので飲み、食べ物もあったが、あまり食べないうちに食べ尽くされてしまった。(これって、な~んだ?)と続けるとなぞなぞみたいだが、これは現実の、昨日の話だった。都内から家までは一時間半くらい離れていて、そのうちの一時間は電車だった。私は、よくわからないが途中から惨めな気持ちになってしまい、建物をでた後、少しうろうろしてから牛丼を食べ、券売機の前に若い人が二人、大騒ぎしながら自分の丼にたっぷり時間をかけていたから、私はその後ろでぼんやりしていたら、
「券売機はそちらにもありますよ」
と、店員に反対側を指された。私は、アホ面でぼんやりを決め込んでいたわけだが、もしかしたら怒り心頭、という顔をしていたのかもしれない。反対側とは、私が入ってきた入り口だった。死角だから気がつかなかった。酔っていたわけではない。

それから特急券を買って優雅に帰ろうと思ったので券を買い、特急が出るまでいくらか時間があったからデパ地下をうろついて洋菓子を買った。和菓子屋もあったが、子供たちが和菓子だとがっかりするから買わなかった。シュークリームにした。値段が手頃だからである。ガラスケースの向こうに店員が三人いて、ひとりが男だった。シュークリームのエリアにいたのは男だった。私としては、女の店員に頼みたいところだったが、その場合は離れているからシュークリームの名称をちゃんと憶えなければならないから難儀だった。シュークリームはシュークリームという名称ではなかった。シュークリームは普通名詞だからである。だから不本意だが、男の店員に
「この、○○シュー、四つください」
と伝えた。どうしてシューの名前をちゃんと言えたのかと言うと、私は札を読んだからであった。男はこもった声で、
「かしこまりました」
と言った。にこりともしなかったから、私はうっかり男の子とを見下してしまったのではないかと、ひやひやした。私が「女がいい」と言ったのは、スケベ心ではなく、ついつい見下してしまうからであった。男は手つきが悪く、なかなかシューを箱におさめられずに苦戦していたが、あと二人いる女たちが、たとえば会計をしてくれたり、等のフォローに入ることはなかった。決して他に客がいるとか、忙しそうでもなかった。もうすぐ八時だから、帰ることで頭がいっぱいなのかもしれない。私は急に特急の時間が気になった。何をもたもたしてるんだ、と男の頭をふみつけたくなった。男がかがんでいるからである。刈り上げたサイドのヘアーが、ガラス越しに見えた。ガラスケースの中にはショートケーキがあった。ショートケーキは小さいからショートケーキなんだよ、と昔母に教わったが嘘で、ホールサイズのショートケーキというのもあるのだった。それならばショートサイズのホールケーキもあるのか? と言ったら、それは昔私が幼稚園の卒業祝いに園から提供されたケーキがちょうどそんなのだった。私は幼稚園の卒園式の日、理由は忘れたが祖父母の家にいて、そこでショートホールケーキを食べた。パンダの砂糖菓子がお誕生日ケーキと勝手が違って不味かった。

結果的に特急には余裕で座ることができたが、途中から具合が悪くなった。降りる駅の二、三前からは顔面から血が引いて脂汗をかき、吐き気と便意が同時にきた。何度も足を組み替え、スーツの膝の折り目がなくなった。二人掛けの椅子は、最初私一人だったが、途中から若い女が隣に座った。諸悪の根源に思えた。女がいなかったら、もう横になってしまいたい。横になるのも無理かもしれない。貧血状態のときはそんなだ。そうしたら床だ。しかしそれでは本物の急病人になってしまう。

実は何度かお酒を飲んで貧血状態になることが過去にあった。後で調べたら、酒を飲んで血糖値が下がることによって引き起こされるらしい。あと日常生活でもたまに貧血にもなるから、私は私なりに冷静であった。しかしお土産の洋菓子が邪魔だった。私の意識は貧血状態の自分や周囲を呪いながら、しかし網棚に置いたシュークリームのことは全く忘れなかった。網棚に物を忘れるヘマは何度かやっているので、強固な意識作用ができていた。私は憂鬱だった。私は窓際に座っていたから、目的駅のドアが開いたら、女の両脚をまたぎ、それから網棚の箱を取って外に出なければならなかった。外に出たらまずベンチを探さなければならない。

電車が到着すると、頭の中で組み立てた動作にうつるが、最初の段階で女の足を軽く踏んづけてしまい、私はとっさに「シュークリームの男の呪い」とか考えた。
「すみません」
と謝りながら網棚の箱を取り、そのあと手すりをつかんで体勢を取り戻そうとしたら手すりもつかみそこね、そのまま転げるように車外に出て、実際転げた。勢いがついてしまい、最終的にはホームの端のフェンスに思い切り頭をぶつけ、
「ごーん」
と、除夜の鐘のような音がした。金属製の柵だったのである。私はその場に頭を抱えてうずくまった。複数の若い女がくすくす笑うのが聞こえた。酔っ払いがすっ転んだと思ったのだろう。酔っ払いと思われるのは不本意だったが、酒は飲んでいるから反論のしようはなかった。酔っ払いは、何か筋の通った主張をしようとしても全て「酔っ払いの屁理屈」と片づけられてしまう状態を指すのである。利口な酔っ払いは、口を閉ざす。

しかし酔っ払いだと思われているのなら、私の状態はそこまで悪くない、と判断ができた。頭を強打したせいか、意識もはっきりしてきた。吐き気も便意も消えた。荷物も手から離さなかった。ベンチを見つけたのでそこまで行き、(具合の悪い人)から、(休んでいる人)に状態を変えた。これならば、即座に誰かに
「大丈夫ですか?」
と声をかけられることもない。もし気安く声をかけられたら、
「ふざけんな」
とか言ってしまうかもしれない。私にも羞恥心はある。

妻が駅まで迎えにきているはずなので、LINEで待つように伝えた。「なんで」と返ってきそうなので、先に
「具合が悪い。頭売った」
と理由を伝えた。「売った」が誤字であることはすぐに気づいたが、誤字のほうが緊急性が伝わると思ったから、そのまま送信した。確かに売っぱらいたい気持ちでもあった。おでこを触ると大きなたんこぶになっていた。このまま死ぬのかもしれないと思った。頭の怪我は、最初はなんともなくとも、あとからげーげー吐いて、実は脳内に出血を起こしていて命を落とす、みたいな話を聞いたことがある。それならそれで仕方ないと思った。酔っ払って柵に頭をぶつけて死ぬなんて間抜けだが、死んだ本人には関係ない。

ポケットの中の携帯が何度も震え、たぶん妻だろうと開いたら友達で、
「日本代表の試合観たことある?」
と言うから
「ない」
と答えた。彼は浦和レッズファンで、この前試合に誘われたが断ったら、私がレッズが嫌いなんだと判断したようだ。確かに私はグランパスが好きだった。リネカーがいたからである。リネカーは、私が子供のときに読んでいた「イレブン」というサッカー漫画に登場していた選手だったから、リネカーが日本にくるというニュースを目にしたとき、彼はイングランドよりむしろ、漫画の国から来たように錯覚した。

その後マツキヨで湿布を買って帰った。シュークリームは無事だった、と家族は言ったが、それは気遣いかもしれない。