意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

本当のしあわせ

ミユミが中学を卒業するころから、仲の良い友達からある宗教に勧誘されるようになった。春休みに一緒にマックに行ったら知らない大学生みたいなのが一緒に来ていて、
「俺も勉強嫌いでさ」
みたいな話を延々とされたらしい。新聞を持って帰ってきて手に取るとお香のにおいがした。そういえば昔よく来るお客さんでいつも線香のにおいをさせるおばあさんがいて、子供のころ死期が近い人からは線香のにおいがするというのを怖い話の本で読んだから、
「ついに俺にも霊能力が備わったか」
と思ったら、
「熱心にお祈りしているだけだよ」
と先輩に突っ込まれた。その先輩は私が社会人になって初めての先輩で、その人に、
「飲み会などで、うっかり宗教の悪口を言わないように」
とアドバイスされた。私が思っている以上に、入信している人は多いのである。先輩もそうだったのかもしれない。私のご近所にもいる。ご近所ではないが、私が好んで聴く精神的ご近所さんの海外有名ミュージシャンにもいる。私のドラムの先生が昔街をぶらついていたら、海外の超大物ピアニストが、ありえないような小さなホテルでコンサートをやっていて、中に入ったらそういう集まりだったらしい。それは厳密に言えば宗教ではなく、とある自己啓発グループだった。ミュージシャンは売れないときに、入信することが多いらしい。先生もそのクチなのかもしれない。私の家のはす向かいにも、とある大手の団体に属している人がいるが、その人は無理やり誘ってくることはないし、親切な人だから私は近所のグループではその人がいちばん好きだ。隣には無宗教の人も住んでいるが、この人は他人の山のタケノコをさも自分の山であるかのように勝手に収穫し、地主に大目玉をくらった。手癖の悪さに信仰の有無は関係ないようだ。

私としては、家族内の信仰の自由を認めたいところだが、正直なところ、ミユミが
「この宗教に入らないとバチがあたって不幸になる」
みたいなことを言われてほっとした。あとお香のにおいのする新聞にも、同業者の悪口ばかりが書いてあって、はっきりいってこの人たちの方がバチが当たるような気がした。こんな風にわかりやすく馬脚を示してくれると、こちらも簡単に自由を認めない理由を並べることができた。そもそも信仰とは幸せになるためではなく、幸せにならなくとも良い、という心構えを育む場所なのではないか?

そんなことを言ったら妻と子供に
「また始まった」
みたいな顔をされた。