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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

PTA会員 棚尾和昭(3-2シカ菜さんのお父さん)の挨拶

彦山小学校のみなさん、おはようございます。

本日は晴天にめぐまれ、無事に運動会が開催でき、誠におめでとうございます。本来ならPTA会長である加藤さんがご挨拶するところなのですが、急な体調不良のため、どういう経緯なのか知りませんが、私が代わりに挨拶することになりました。とつぜんのことなので、私も何をしゃべっていいのかわかりませんが、思いつくままのことをしゃべり、挨拶とさせていただきたいと思います。

先ほど校歌、応援歌を続けて聴かせてもらいました。校歌については私はよく知っています。なにせ私もこの学校の卒業生ですから。最後のところ、一番と三番の歌詞を間違えやすいのがこの校歌のとくちょうですね。(あるある、とうなずく上級生)私が通っていた頃、およそ25年前ですが、そのころは今よりも倍の生徒がいました。児童か。だから、先生の数も多かった。だけど、私の頃はあんまし若い先生がいなくて、新任と言えば保健の先生くらいでした。その先生は長野県出身で、私は友達と一緒によくそのことでからかったりしました。今思えば、彼はその先生が好きだったのです。私はその前のベテランの先生の方が馴染んでいて、というのも私は小学生のころは体が弱くて、しょっちゅう保健室のお世話になっていたのです。だけど若い先生になったら、「頭が痛い」とか言うのがなんだか格好悪い気がして、保健室には一度も行かなくなった。それでそのまや喘息も治ってしまったのだから、なんでもかんでもベテランが良い、というわけではないのです。

今年彦山小学校には三人の新任の先生が赴任され、朝見かけたときは、三人で記念写真など撮り合ったりしていて、私は正直大学生のように見えてしまった。私は、上の子が運動会の時は、子供ばかりがほほえましい、と思っていましたが、だんだんと先生にもそういう感情を抱くようになり、いずれは校長先生なんかにも、
「若いなあ」
と思ってしまうのかもしれない。

ところで、さっき今の児童は私の頃の半分、と言いましたが、私の頃は「赤、青、緑」の三チームで競っていました。今は赤と白の応援席は隣同士ですが、昔は離れていて、赤は保健室の前、青はバスケットのゴールの辺り、そして緑はトイレの前でした。トイレと言っても昔は今の場所にあったわけではなく、ちょうどうんていと体育館倉庫の間あたりに、あったのです。そうです、その辺。それでそのトイレは昔のトイレだったから、とても臭かった。トイレというより便所といった感じです。男子トイレには小便器がなく、コンクリートの段差の上に立って、みんな壁に向かってオシッコをしていました。汚い話でごめんなさいね。(喜ぶ男子)大学生の先生なんかは、想像もできないと思います。それで、緑団は臭いトイレの脇が応援席で、そのせいか、いつも三位でした。ペケでした。

それが、私が三年か四年のころ、トイレが古いから壊されることになって、今のトイレの場所に変わったのですが、そうしたら急に緑団が強くなって立て続けに一位をとるようになりました。ある年、私が五年生のときですが、お昼に渡り廊下を歩いていると、青団の団長が先生に泣きながら、
「どうして、先生、トイレの場所が変わっちゃったんですか? これじゃ、俺たちは勝てないよ」
と泣いてるんです。それは運動会当日の話で、お昼の時点で緑が一位で、青は最下位でだいぶ離されていたのです。青団の団長は責任を感じ、それをトイレの改修のせいにしたかったのです。そのときの点差はもう青からしたら絶望的だったのです。私は赤でした。泣かれた先生は、
「まだわからないよ」
と嘘を言って一生懸命励ましていましたが、その先生も、トイレのジンクスを信じているふう、でした。とにかく今は緑団そのものがなく、赤も白も隣同士の応援席で、条件は一緒です。お互い精一杯がんばりましょう。

だいぶ話が長くなってしまいました。そういえば今年から組体操がなくなったとのことで、私は組体操なんて、感動の押し売りみたいで嫌いなので、なくなって嬉しいです。そういうのは、日テレの24時間テレビだけでたくさんです。テレビなら消せばいいですが、我が子の出る運動会は、消すわけにはいかないのです。ここ何年かは、組体操の練習風景をビデオにおさめ、それを後日販売してたりしたので、私はやりすぎだと思っていました。なくなって大正解です。(校長のほうを向きながら)校長の判断は英断だと思います。今年の5、6年生がなにをやってくれるのか、本当に楽しみです。

もちろん他の学年のみなさんも、自分の競技をがんばりましょう。あと、午後から暑くなるようですので、水分をこまめにとりましょう。以上です! ありがとうございました。

(この後の5、6年の競技が、組体操から人が重なったりする危ない種目を除いただけの、相変わらずのノリだったので、棚尾はがっかりして居眠りした)