意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

いじめはムード

先日二週連チャンでやっていた「ソロモンの偽証」を家族がビデオに録っていたのを途中から見て、それは前編のもう終わりのほうで、私は特に見る気はなかったけれど、樹里ちゃんだっけ? 彼女の暗闇で陰影を作る頬のニキビが妙にリアルで彼女を好きになってしまった。あと、校内裁判をなんと阻止しようとする愚かな教師が貼り紙をびりびりに破いたりするところも痛快だった。だから、そのまま後編も見たわけだが、ラストに向かってつまらなくなった。模擬裁判所の傍聴席と被告席を区切る柵が平均台だったり、犯人とかが座る椅子がピアノの椅子を流用したりと、そういう手作り感が文化祭ちっくで私は気に入ったのだけど、どうも
「傍観していた私たちも悪い」
みたいな流れになると、中学生日記を見ているような気持ちになった。別に中学生日記が悪いというわけではない。私は中学生のころは、「中学生日記」が結構好きで、どこが好きなのかというと、主人公の名前のみ役名と本名が同じで、つまり主人公のみ演技ではないと見方によってはとることができ、パラレルワールドにでも押し込まれたような陶酔が、見ていてあった。

じゃあ結局「ソロモンの偽証」は面白かったのかというと、だんだん面白かった気がするけれど、やはり、
「僕を裁いてくれ!」
と、絶叫しているのを聞くと、うーんとなる。なんか似たようなセリフが、ドストエフスキーの「悪霊」にあったような気がするが気のせいか。「ソロモンの偽証」は「悪霊」に似ている。ところで、あそこに出てくる中学生を見ていて私は完全に自分の親世代の中学生と思っていたら、91年とか出てきて、それは私の中学時代と重なるから、俺はこんなに古臭い時代に生きていたのか、と驚いた。確かに教室にクーラーなんてなかったから、夏は暑かった。しかしあんなに暴力的だっただろうか。確かに体罰をする教師はいた。竹刀を持っているのもいたし、腹にパンチを喰らわす社会科教師もいた。彼は当時新婚で、新妻の話ばかりした。そういうときは機嫌が良いから良かった。彼は竹刀を持っていなかった。それが20年経って、この前ミユミの卒業式にいたから驚いた。あれだけ生徒を殴って、よくも教師を続けられたもんだと呆れた。教師の体罰は教育だから、依存症ではなく、やめろと言われたら簡単にやめられるのか。しかし殴って言うこときかせていたのを、急に殴るのがNGとなったから、本人はかなり苦労しただろう。