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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

老いに対する不安

昨日サッカー観戦に行くために電車に乗った。東武東上線という電車だった。昨日の前は四月に乗った。久しぶりということになるのか。朝霞で降りて武蔵野線に乗り換えるのだが、私は生涯であまり武蔵野線に乗ったことがないから不慣れだった。私は電車でも車でもぼんやりすることが多く、ましてや電車などではブログを書くことが多いので、ついつい降りる駅がわからなくなってしまう。そもそも東武東上線は急行とか準急とか、電種によってとまる駅とそうでない駅があって、私が乗っているのは急行という電種で、子供のころから何の気なしに乗るといつも急行だから急行にはなじみがある。もっと都心よりの人は準急だとか普通に馴染みがある。しかし朝霞という駅は急行がとまるのか私には不明だった。しかもよく考えると朝霞台という駅だったかもしれない。私は出かけるといったら川越か、池袋がほとんどだったから、東武東上線の急行とは川越をすぎるととまる駅とそうでない駅がランダムだから難しかった。ドアの上にはとまる駅のイラストが掲示してあって、いろんな電種がとまる駅は大きく、普通しかとまらない駅は小さく書かれている。大きい駅は政治的影響力も大きい駅に見えた。私が乗る駅も大きい方だから誇らしかった。朝霞台はどのくらいの大きさなのか、調べようと上を見たら、表示そのものがなかった。今の人はみんなスマホで調べるから、掲示する必要がないという判断なのか。なくなってしまうと寂しい。私は電車内ではよくぼんやりすると述べたが、この駅の大小を見上げることが多かった気がする。下を向くと吐き気を催すことがあったからだ。

帰りは、しかし、駅の表示はあった。そこで新しい「Fライナー」という電種が最近追加されたことを知った。そういえば一緒にサッカーを見た友達も「Fライナー」がどうとか言っていた。私がfktackだから、からかっているのかと思った。「俺が乗れば全部Fライナーだよ」と答えたが、完全に的外れな回答だった。しかし私たちの友情関係がそれによって崩れることはなかった。友達は赤いユニフォームを着て、終始
「サイドあいてる!」
「そうそう! そう!」
「風が....」
とか応援していてちょっとおかしかった。私も
「おしい!」とか、
「くっ」
「やばかった」
とか言ったが、いかにもわざとらしく、心中では苦笑していた。何か言わないと、友達が気を遣ってしまうんじゃないかと心配したのである。全体的には退屈な試合であった。熱心な応援を眺めるのはいくらか愉快だったが、負けそうなチームを最後まで応援するのはしんどそうだった。私がその中にいたら、絶対態度に出て、団長に殴られるかもしれないから、S席で良かったと思った。S席は中東系の中年の人が自撮り棒で記念撮影をしたりして、比較的長閑だった。

そうして友達と別れ、再び東武東上線に乗った私は「Fライナー」というのを知ったが、それがどこを走り、どのような駅に止まるのか見当がつかずに戸惑った。しかも東西線とか色々な線路に乗り込むらしく、駅の表は、私が子供のころに見た物よりもはるかに複雑になっていて、見る者が簡単に情報を得るために記号化されている部分もあったが、私にはそれが異国の文字に見えた。私は思い出した。私は子供のころ、祖父母に長期休みのたびに玩具を買ってもらい、特にトランスフォーマーが好きだった。色んな種類のトランスフォーマーが揃い、ある日それを見た父が、
「また同じ物を買ってもらっている」
と私を揶揄した。しかし私からしたらどうしてこんなに違う物を、「同じ」と言い切ってしまうのか、大人とはこんなにも愚かなものなのかと、情けなくなった。

私は人生のどこかの時点で上記のことを忘れてしまうべきだった。しかし忘れることができなかったので、いつかは父のようになってしまうのが怖かった。Fライナーがどこを走るのか見当をつけられない私を若い人は、
「イニシャルが同じだからって親近感を抱くのは勝手だが、本質はまるで理解していない。あなたはとても愚かな人だ」
と判断するのだろう。それが悔しい。