意味をあたえる

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フィリップ・Kディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

まだぜんぶ読み終わっていないが、ここではないか? という箇所にあたったので、引用する。

 カダリイは銃をリックに渡し、渡されたほうは、年季のはいったあざやかな手つきでそれをあらためた。
「どこが性能的にちがうんだね?」リックはきいた。見当がつかない。
「引き金をひいてみたまえ」
 車の窓から上空に狙いをつけて、リックは引き金をひいた。なにも起こらない。レーザー光線が発射されない。彼はけげんな顔でカダリイをふりかえった。
「引き金の回路がとりつけてないんだよ」カダリイがいった。「それはこっちに残してある。ほらね」手をひらいて、小さなユニットをリックに見せた。「しかも、一定距離内では、こっちで光線を好きな方向へ向けることができる。銃口がどこを狙っていても」
きさまはポロコフじゃない。カダリイだな」とリック。
「きみのいいたいのはその逆だろう? すこし混乱しているようだね」
「うるさい。きさまはポロコフだな、アンドロイドの。ソ連警察からきたなんて嘘をいいやがって」

浅倉久志 訳 早川書房

太字は私。この太字のぶぶんに、私はおそらく十年以上前に読んだときもつまづいて、今もつまづいている。読み返すと最初のほうは
「ああ、そうそう、こんな感じだった」
みたいに記憶に引っかかるところもあったが、後半にさしかかると、ぜんぜん読んだ記憶がない。これは人間にまぎれたアンドロイドを探すお話だが、途中で埋め込まれた記憶とか出て来て、全体が裏返しになりかかる場面があって、そういうのがデビット・リンチの「マルホランド・ドライブ」ぽいと思い、結局そういう話なんだと思ったが、意外とすんなり表に返ってきて、まともな話だ、と思う。しかし太字の箇所である。最初リックはアンドロイドのポロコフを追っていたが取り逃がし、そこにソ連警察からきたというカダリイがやってくるわけだが、実はポロコフ=カダリイで、カダリイがアンドロイドなわけだが、なぜ取り違えるのか。しかもその後「言い間違えてるよ」と、当のアンドロイドに突っ込まれる。カダリイとしてやってきて、
「貴様カダリイだな?」
と言われたら、普通は「そうだが、それがなに?」と答えるのものだと思うが。しかし、リックが見破っているのは明らかなのだから、いつまでもカダリイのふりをするわけにもいかないのか。なんだか、私は「名探偵コナン」とか、そんなのを読み過ぎなのかもしれない。証拠さえなければ、犯人とは言い切れない、という状況は犯人にとっては安全である、みたいな論理にがんじがらめにされているのではないか。

私の記憶の中で、このリックの取り違えを、メタレベルのつまづき、と言ったのは、どうしても書いている作者自身が取り違えたのを直さずに取り繕ったように見えるからである。そしてそのことを勧めてくれた当時のドラムの先生に報告すると、
「ディックは頭がおかしいから」
と、まるで作者が友達であるかのような言い方をした。


ところで文庫本の表紙には荒野に羊が大写しになるイラストが書かれているが、遠くに人が立っている。今よく見たら男が奥に向かって歩いていて、
「ああ、これはあの場面の○○か」
みたいな脳内の発火があったが、私はそれまでろくすっぽ見なかったから、荒野に男が突っ立ている様子が、サミュエル・ベケット「モロイ」の最初の場面に似ていると思った。小説とは一体なんなのか。