意味をあたえる

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カフカ「城」

この前ディックの「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」を読んだが、同時期に以前短歌でお世話になった卯野さんも読んでいて、卯野さんは疾走感、ドライブ感が良いと評価している。私の短歌ではなく、小説についてである。

卯野さんは他に人間とアンドロイドの差異について述べており、主人公リックとその妻イーランはともに人間ではあるものの、最後まで分かり合えずそこが皮肉であると述べている。私は実は妻イーランについては、全登場人物の中で重要度について最下位に近いところにつけており、彼女がヒスを起こす場面とかガマガエルのお腹のスイッチを探り当てるとか、そういうのに全く興味なくページをめくってしまった。ちなみに私はラストに近づくほどこの小説自体の興味も薄れてきて、私は途中まで読んだときに「最後まで読んだ記憶がない、途中で投げたのかも」
と思ったが、それは最初に読んだときも同じように興味を失ったからだ。だからとてもつまらない小説だった、というつもりはなく私にとってはあの最初のアンドロイドのポロコフとカダリイを、リックが取り違え、アンドロイドのほうにフォローしてもらう場面がピークなのだ。ラストはピークから離れすぎている。だから私はあの辺に出てくるブライアント警視とかルーバ・ラフトが好きなのだ。ルーバ・ラフトは結局小狡いアンドロイドのひとりにすぎないのだが、あのリックとのやり取りの最中は本当に人間のような気がした。あわてるリックがブライアント警視に電話をかけ、偽の巡査に代わると巡査はこっそり電話を切って、
「おい、誰も出てないじゃないか」
とリックに告げる。クラムズ巡査はルーバ・ラフトとグルなのだ。あるいは完全に洗脳されている。私はリックが孤立無援になる様子を見て、
「やっぱりね」
と思う。私にとってみれば、リックが実はアンドロイドである、というシチュエーションのほうがお馴染みなのである。それは、決してアンドロイドではないが、人間らしさは欠片もない、というのよりも、である。私がイーランに興味を持てないのはそういった理由もあるのかもしれない。

神として登場するウィルバー・マーサー(預言者?)についても同列に語ることができるが、私はこの坂を登る孤独な老人のコンパクトさが好きだ。ウィルバー・マーサーはアンドロイドのコメディアンにその正体を暴かれたあと、リックとうすら馬鹿のイジドアの前に姿を現すが、
「偽物なんだろ?」
の問いに、否定も肯定もせず、悪びれる様子もなくそれっぽいことを二人にアドバイスし、それが本当にそれっぽい。神様だったらこう言うだろうな、と思うことを言ってくれるのである。神様らしいセリフというのは難しく、ただ正解を言えばいいというものではなく、正解ばかりでは過保護なお母さんみたいになってしまう。しかしコンパクトが故に、やはりペテンなのである。

卯野さんの記事には局長さんの記事も紹介されておりありがたかった。局長さんの記事が書かれた頃は私はまだブログを始める前の私で、その冬は実にたくさんの雪が降った。家の前にかまくらをこしらえ、日が経って入り口が崩れると子供が泣いた。下の子はまだ未就学だったが、今よりもずっと大人びていた。カフカの「城」もかなりの雪が降っていて、そのため主人公のKはまったく身動きがとれず、城への道も閉ざされたままだ。私は「城」を読むのも二回目だが、こんなにもたくさんの雪が降っていたとは、一度目は気づかなかった。話の雰囲気としては、どことなく藤子不二雄Aの「笑うセールスマン」に似ている。