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意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

納豆

私は平日朝はたいてい納豆を食べていて、昨日だか子供に、
「朝はパン派? ご飯派?」
と訊ねられ、「どっちでもいい派」と答えた。じっさい、休日にはパンなども食す。義父は強固なご飯派で、それ合わせて義母がご飯をもりもり炊くから、ご飯は積極的に消費しなければならない。仕事のある日はお弁当を持って行くからご飯はそれなりに減るが、日曜などは持って行かないから減らない。出かけたりすれば尚更だから、義母も少しは米の量を減らせばいいのに、そういった応用のきかない女なのである。出かけなければ平日と同じように経るから、非はむしろ私(筆者)にあるのでは? とお思いの方もいるかもしれないが、私は家では気持ち程度しか茶碗によそらない。しかし妻は私のご飯をよそるときは常に大盛りにするから、途中からご飯のたぐいは自分でよそるようになった。
「残してもいいよ」
と妻は言うが、食べようと思えば食べられる量だから困った物なのである。お弁当については円筒形の金属製の器にご飯を盛るのだが、妻にやらせると「ココマデ」の線などお構いなしにぎゅうぎゅうに詰めるから、端のお米がすりつぶされてしまい、私などはやっぱり農家の倅だから、つぶれたお米が不憫なので、お弁当のご飯についても自分でよそるようになった。私は実は極度のマニュアル人間で、「ココマデ」は絶対守るし、あと冷凍食品の「○○Wで●分」などにも忠実じゃないと気が済まない。

話がずれたが、私は朝納豆を食べながら、自分の感情がケーキを食べているときのそれと同じことに気づいた。はて、どうして納豆を食べながらケーキのことを考えているのだろう、とよくよく考えてみたら、私はご飯から納豆が落ちないように慎重に一口大にご飯をわけて口に運んでいるわけだが、その動作が、生クリームや苺がスポンジから落ちないように注意するのと同じだということに気づいた。私は、実は納豆を単体で食べるのがあまり好きではなく、また丼もの全般でも上物とご飯を同時に食べ、途中経過では単独のときがあっても、最後の最後はご飯と上物同時に口に含みたい、と思っている。そういうのは、例えばうな重とかやわらかいのなら容易だが、カツ丼や天丼だとむずかしい。子供のころはどうやって一緒に食べるのかということに腐心したが、やがて上物のあとにご飯を頬張っても良いことに気づき、それはつまり同じ丼や重に盛られても、ご飯とおかずとしてとらえても良い、という発想だが、とにかくそれに気づいてから私は気持ち的にずいぶん楽になった。私は実は大口を開けるのが苦手で、とくに今年の前半頃は大きく開くと顎が痛くなり、これは顎関節症ってやつかなあ、と憂鬱になっていたら、いつのまにか痛くなくなって嬉しい。